前回は、人の起源と、この列島に人が立った話を見ました。縄文の遺跡からは、いまの日本人とほぼ同じ特徴の人骨も出ています。では、その人たちは、どんな道具を使っていたのでしょうか。
岩宿が覆した、「石器はない」という常識
長いあいだ、日本には旧石器時代(土器が出るより前の時代)の石器がない、先土器文化は存在しない、とされてきました。それを覆したのが、群馬県みどり市の岩宿遺跡です。
昭和二十一年(一九四六)、アマチュア研究家の相沢忠洋(あいざわただひろ)が、関東ローム層のなかから旧石器時代の打製石器を掘り出しました。日本考古学史上の大発見です。この地層は、およそ四万年前から一万年前にかけて積もった更新世の土だとされます。
まだ土器が出ない段階なので、この時代を先土器時代と呼びます。人びとは石を打ち欠いて打製石器をつくり、狩りと採集で暮らしていました。黒曜石は、石や木のハンマーで打つとナイフのように鋭い刃が出るため、打製石器の素材として多く使われました。
国内では三万八千年前より古い打製石器の出土例もありますが、層位・共伴・遺跡の安定・複数出土という認定の基準を満たしていないものが多く、それより古い中期旧石器時代が日本にあったかどうかは、いまも論争になっています。
世界では新石器、日本ではすでに磨いている
世界ではふつう、石を打ち欠く打製石器の時代(旧石器時代)のあと、石を磨いてつくる磨製石器が現れ、新石器時代に入ります。磨製石器の使用開始は、世界ではおよそ一万年前とされることが多いです。
日本では、それよりずっと早い。刃の部分だけを磨いた局部磨製石斧が、およそ三万年前の遺跡から出ています。さらに古い例もあり、日本の磨製石器はおよそ四万〜三万年前から現れます。石斧は樹木を伐るのに、石臼や石杵は穀物をすり潰すのに使われました。
平成二十九年(二〇一七)、オーストラリアのマジェドベベ遺跡から約六万五千年前の磨製石器が出た、との報告がありました。ただし年代の信憑性には疑問も出ています。国際的に信頼できる方法で年代が特定された磨製石器としては、日本から出土したものが世界最古だといえます。
世界の一般的な開始が約一万年前ですから、日本とオーストラリアの古さは突出しています。世界の考古学では、磨製石器の出現をもって新石器時代に入ります。日本列島は、人類史上でも最も早い時期に、その段階を迎えたことになります。その時代の技術の最先端は、この列島にあった、ということです。
先土器の暮らし、いまの日本人の先祖
先土器時代の日本は、氷河時代の氷期にあたり、いまよりかなり寒かったとされます。人びとは石器で狩りをし、植物を採取し、獲物を求めて移り歩き、十人程度の集団で、簡単な小屋や洞窟、岩陰に暮らしました。防寒に毛皮をまとい、火を使っていました。尖った打製石器(尖頭器)をつけた槍で大型動物を集団で狩り、解体にはナイフ形石器を使います。技術が進むと、細石器という小さな石器を木や骨の柄にはめ込むようになります。獲ったものは焼いて食べていました。
遠隔地との交流も盛んだったことが分かっています。黒曜石など、産地から離れた場所で石器が出るためです。
当時この列島に住んでいた先土器時代の人は、いまの日本人の先祖です。
なぜ、日本では磨製石器が早かったのか
寒く、森の多い列島で暮らすには、木を伐る必要がありました。刃だけを磨いた石斧は、打ち欠いただけの石より、木を倒し、削るのに向きます。世界の多くの地域で磨製石器が本格化するのは農耕の開始と重なりますが、日本では、狩りと採集の段階ですでに、木を扱う技術が先に進んでいた、ということです。
岩宿が示したのは、「日本に古い文化はない」ではなかった、ということです。道具の層でも、この列島の人の営みは、世界の最初期に並んでいました。
