鳥居をくぐり、拝殿で頭を下げたあと、背後の山を見ると、そこに社殿がない神社があります。祈る相手は建物の中ではなく、山そのものだ、と知らされる。不思議に思えて、この形のほうが、神社の古い記憶に近い。
本殿は、迎えの席が固定されたあとの姿です。古い感覚では、神は一年じゅう同じ部屋に住む主人ではなく、祭りのときに招かれ、終われば帰っていく客に近い存在でした。客が毎日いない家に、巨大な寝室を先に作る人はいません。まず用意するのは、降りてきたとき腰を下ろす席です。
その席を、依代(よりしろ)と呼びます。神が一時、依りつくための目印であり、器です。場所によって、姿が変わります。
木であれば、しめ縄を巻かれたご神木がそれにあたります。常緑の榊などを立て、周囲に境界を巡らせた臨時の祭壇は、神籬(ひもろぎ)と呼ばれます。家を建てる前の地鎮祭で、更地に榊が立ち、しめ縄が張られているのを見たことがあるなら、あれは建物のない時代の席が、工事の朝に呼び出されている光景です。
山であれば、神が鎮まる山を神奈備(かんなび)、あるいは神体山と呼びます。山全体が本体なので、社殿を建てて中に迎える必要が、最初から薄い。
岩であれば、神が降り立つ巨石を磐座(いわくら)と呼びます。岩を環のように並べ、ここから内側が神聖だとしるしをつけた臨時の場は、磐境(いわさか)です。席と、席を囲う線。鳥居がその線を門にしたものだとすれば、磐境は、門ができる前の線です。
祭りが終わると、人は神を送りました。席は片づけられ、次の季節まで山や岩は風景に戻る。その繰り返しが長く続いたあとで、臨時の席は常設の建物へ姿を変えます。招く場所が、住まう社になっていった。神社の建築は、もてなしの家具が、やがて家そのものになった過程でもあります。
いちばん奥に置かれ、だれにも見せないもの
建物のなかで最も奥にあるのが、本殿です。そこにまつられる神を、ご祭神と呼びます。本殿のさらに奥には、神の魂が宿る器として、ご神体が安置されます。御霊代(みたましろ)とも呼ばれるものです。鏡であったり、剣であったり、勾玉であったり、木や石であったりする。形は神社ごとに違っても、役割は同じです。魂が宿るための椅子です。
この器は、一般の参拝者の目に触れません。幾重もの扉と帳の向こうで、見られないことによって守られています。一つの読み方をすれば、見せないのは距離の維持です。誰もが手に取って裏表を確かめられるものは、道具になります。確かめられない位置に置いてはじめて、そこには、まだ到着していない誰かのための空きが残る。古代の人々が祈ったのは、収穫であり、海の平穏であり、病が家を通り過ぎることでした。どれも、部屋に鍵をかけて囲い込める相手ではありません。器は奥に置き、人は手前で手を合わせる。拝殿は、客間の敷居のような場所です。
山が、社殿になることを拒んだ
奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)は、この古い順番を今も崩していません。ご祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)。国づくりの神、大国主神と重ねて語られることもあります。背後に立つ三輪山がご神体であり、本殿はありません。拝殿の奥には三ツ鳥居(みつとりい)と呼ばれる、三つに組み合わされた門があり、その向こうに建物は続きません。視線の先は、杉に覆われた山です。
ふだんの参拝は、拝殿から山を仰ぐことで完結します。山へ足を踏み入れる登拝は、申し込みと作法が別に定められた、信仰の行程です。山を眺望の対象にしないことが、この神社の礼儀です。三輪山は、神奈備がいまも生きている例です。
和歌山県新宮市の神倉神社では、席が岩の形をしています。五百三十八段の急な石段を上った先に、ゴトビキ岩と呼ばれる巨岩がある。ゴトビキは、この土地の言葉でヒキガエルを指します。岩そのものがご神体であり、熊野速玉大社の元宮だと、社には伝わっています。麓の速玉が新宮と呼ばれるのは、こちらを古い宮と見る伝えがあるからです。
毎年2月6日の夜、御燈祭(おとうまつり)が開かれます。白装束に荒縄を締めた男子、上り子(あがりこ)たちが、松明に神火を受け、その石段を一斉に駆け下る。国の重要無形民俗文化財です。火を家へ持ち帰り、神棚と竈に灯して、新しい年の神を迎える。祭りの核は、招くことです。岩の上で受け取った気配を、各家の席まで運ぶ。依代の考えが、いまも町の夜を縦に走ります。参加できるのは男子に限られ、石段は暗く急です。火の筋は、麓から追うほうがいっそよくわかります。
福岡の玄界灘に浮かぶ沖ノ島は、さらに徹底しています。宗像大社の沖津宮がまつられ、島全体がご神体です。古代の祭祀が岩の上で行われた跡、磐座が残る。島は「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として、世界遺産に登録されています。一般の上陸は禁じられ、人は本土側の辺津宮から、沖の神を遥かに拝みます。大神神社の山と同じ遠慮が、海のスケールになっています。
席が家になったあと、家が語り始める
依代から社殿への変化は、もてなしの席が、繰り返し訪れる客のために家のかたちを持ち始めた過程として読めます。本殿が立ち、ご神体が奥へ収まり、人は拝殿で礼をする。その屋根の上には、後の時代、千木と鰹木が空へ突き出し、周囲には玉垣が巡らされます。臨時の柴の垣が、恒久の柵に変わったあとの話です。
次に見上げてほしいのは、屋根の端で交差する木と、棟に並ぶ丸太です。風で屋根が飛ばないための材が、神聖さのしるしへ育ったものです。先端の削り方に、まつられている神のヒントがある、という見方も残っています。門をくぐり、席の在りかを知ったあとで、建物そのものが何を語っているのかを聞く番です。


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