春日大社の例祭の日、奈良の社頭に、見慣れない装束の一行が入ります。勅使(ちょくし)です。天皇の使いとして派遣され、天皇に代わって幣帛(へはく)を奉り、神へ感謝と祈りを届けます。天皇が自ら遠い大社の祭に立てないとき、祈りを運ぶ役割を担う神社。それを勅祭社(ちょくさいしゃ)と呼びます。勅祭社の祭は、例祭とも呼ばれます。勅使の行列は、祭の当日だけ社頭に現れます。普段の参道を歩く氏子の列とは、装束も、持つものも違います。手にあるのは、天皇の言葉に代わる幣帛です。遠いからこそ、使いが要る。伊勢の内宮と外宮、奈良の春日大社、愛知の熱田神宮、東京の明治神宮と靖国神社、京都の石清水八幡宮、香取神宮と鹿島神宮。これらの社が、その使いを迎える側に立ってきました。京都、奈良、伊勢を中心に、東北から九州まで点在する社を線で結ぶのが、勅使の旅です。
毎年届く料と、祭の日に届く料
皇室と神社の結びつきには、二つの料があります。
常饌料(じょうぜんりょう)は、天皇や皇后が、特定の神社へ毎年定期的に奉じる米や金銭です。神饌の材料になり、社殿を保つためにも使われます。年に一度の祭を待たず、暮らしの米として届く支えです。
幣饌料(へぜんりょう)は、勅祭のとき、天皇が神に供える幣帛や神饌のための代金です。勅祭社の大祭のたびに、皇室から奉じられます。常饌料が毎年の定期、幣饌料が勅祭の当日。リズムの違う二つの奉納が、同じ社を支えています。毎年届く米は、祭の日の華やかさより先に、神饌の釜を満たします。金銭は、社殿の傷みを翌年まで持たせるために使われます。幣饌料は、その静かな循環とは別に、勅祭の当日だけ動く代金です。同じ皇室から出ながら、一方は暦に組み込まれ、一方は祭の朝に姿を見せる。これらの仕組みは、皇室が神社の祭祀を支え続ける形として、長く伝えられてきました。
伊勢を中心に、東北から九州まで
勅祭社は、一か所に集まりません。伊勢神宮は、内宮と外宮です。奈良の春日大社。愛知の熱田神宮。東京の明治神宮と、靖国神社。京都の石清水八幡宮。さらに香取神宮、鹿島神宮。これらをはじめ、重要な神社が全国に点在します。地図の上では、京都、奈良、伊勢を中心に、東北から九州まで、皇室の祭祀の網が広がっています。
どの社でも、例祭には勅使が参列し、天皇に代わって神へ感謝と祈りを捧げます。地域の氏子の祭であると同時に、皇室を通じて国全体の安泰を祈る祭祀でもあります。常饌料の多くは、こうした勅祭社や伊勢神宮に奉じられ、神饌の材料や社殿の維持に向けられます。使いの姿は、皇室と地方の大社が、祭の日に一本の線で結ばれる光景です。地図で社名を追うと、点はばらばらに見えます。祭の日に勅使が立つことで、点が線になります。常饌料は、その線が祭の日以外も細く続いているしるしです。米と金が毎年届き、神饌と社殿を保つ。幣饌料は、線が太くなる当日の代金です。二つの料を知ると、勅祭社という名が、皇室の祈りが届き続ける仕組みを指していると分かります。
新嘗と神嘗は、同じ稲の線上にある
皇室の大祭には、新しい米を神に供える新嘗祭と、一年の豊穣を祈る祈年祭があります。これらは伊勢神宮の祭祀と連動し、日本の農耕の根をなしています。神嘗祭は、皇室の新嘗祭の核心であり、神武天皇以来の伝統を受け継ぐ祭祀だと語られてきました。古事記の世界で神々へ供え物を捧げる習慣が、宮中の新嘗と、勅祭社の例祭のなかに残っている、という見方です。
古事記で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は高天原を治める太陽の女神であり、皇室の祖神とされます。皇室の祭祀は、その神への感謝と祈りを、国の形で捧げる行為でもあります。勅使が運ぶ幣帛は、神話のなかの供えが、朝廷の制度になったあとの姿です。皇室の新嘗祭と、伊勢神宮の新嘗祭は深く結びつき、農耕と祭祀の頂点に並ぶ行事です。
伊勢の神を祖とし、遠い社へ使いを送る。この結びつきの、さらに古い名簿が平安の宮廷に残っています。延喜式に名を連ねた式内社と、国ごとに第一とされた一宮が、次に待っています。


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