5世紀の後半、鉄の剣と刀に刻まれた文字に、一人の大王の名が残されていました。ワカタケル大王、すなわち雄略天皇です。
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朝貢をやめた日本
倭王武(雄略天皇)が宋から称号を得たあと、日本は中国への朝貢をやめます。それから1世紀以上、中国の王朝と正式な外交関係を持ちませんでした。理由については、北魏の勢力拡大で使いを送りにくくなった、宋の滅亡後に送る価値がなくなった、など諸説ありますが、国内の支配が固まり、中国の後ろ盾が要らなくなったとする説がもっとも支持されています。
二つの銘文
| 稲荷山古墳出土鉄剣 | 江田船山古墳出土鉄刀 | |
|---|---|---|
| 場所 | 埼玉県行田市 | 熊本県和水町 |
| 年代 | 辛亥年(471年とされる) | 5世紀後半 |
| 大王の名 | 獲加多支鹵大王(わかたけるのおおきみ) | 獲□□□鹵大王(ワカタケルと読まれる) |
| 内容 | ヲワケの臣が代々大王の護衛役として仕えたことを記す | 典曹(文書の役所)に仕えたムリテが作らせた刀 |
| 指定 | 国宝 | 国宝 |
関東と九州という遠く離れた場所で、同じ大王の名が刻まれた刀剣が出土したことは、5世紀の大和朝廷が列島の広い範囲を治めていたことを、文字で裏づけています。
記紀と年代が一致した最初の天皇
『日本書紀』は雄略天皇の在位を456〜479年としています。鉄剣の辛亥年を471年とすると、ちょうどこの期間に入ります。記紀の年代と外部の資料がぴたりと合う、最初の天皇といわれます。
「治天下」という言葉
二つの銘文には、どちらも「治天下(あめのしたしろしめす)」、つまり天下を治めるという言葉が見えます。天下を治めているのは中国の皇帝ではなく、ワカタケル大王です。中国の秩序の外に、日本独自の「天下」を考え始めた証しと読むことができます。漢字の音を借りて日本の人名を書き表している点も、文字の使い方として注目されます。
埼玉県行田市のさきたま古墳群は、稲荷山古墳を含む九基の大型古墳が集まる史跡公園です。鉄剣は隣接する博物館で見ることができます。

