日本列島はどのようにして一つの国にまとまったのでしょうか。記紀の伝えと、考古学の手がかりを重ねて考えてみます。
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婚姻による結びつき
『日本書紀』は、神武天皇のあと第2代綏靖(すいぜい)天皇から第9代開化(かいか)天皇までの間に、列島内のまとまりが進んだと記します。この八代は事績がほとんど伝わらず、実在を疑う見方が強い時代です。一方『古事記』には詳しい系譜が残されており、皇室が各地の豪族と婚姻を重ねることで結びつきを広げていった様子を反映している、という見方もあります。
四道将軍と日本武尊
| 天皇 | 記紀の伝え(要約) |
|---|---|
| 第10代 崇神天皇 | 北陸・東海・西道・丹波に四道将軍を送る |
| 第12代 景行天皇 | みずから九州へ遠征 |
| 景行天皇の皇子 日本武尊(倭建命) | 西の熊襲を討ち、さらに東国を平定 |
こうした伝承は、大和時代を通じて王権の力が地方へ広がっていった歴史を、物語の形で伝えたものとも考えられます。
大きな戦争の跡がない
興味深いのは、前方後円墳が造られ始めてから、列島で大規模な戦争の跡が見つかっていないことです。弥生時代に各地にあった環濠集落も姿を消していきます。
世界の多くの地域では、強い王朝は大きな戦争に勝った者によって生まれました。日本では、比較的穏やかな状況のなかで、各地の勢力が大和を中心にまとまっていったと考えられます。『古事記』の国譲り神話が、戦いではなく話し合いで国が譲られる物語になっているのも、そうした歴史の記憶と重ねて読むことができます。
出雲大社では、ふつうの神社の「二礼二拍手一礼」ではなく「二礼四拍手一礼」で参拝します。国譲りの神話を思い出しながら、その理由を考えてみるのも面白いでしょう。

