天から降りた邇邇芸命(ににぎのみこと)の子孫は、どのようにして初代天皇へとつながっていくのでしょうか。『古事記』『日本書紀』が描く、神の時代から人の時代への橋渡しを見ていきます。
日向三代とは
邇邇芸命は山の神の娘と、その子の火遠理命(ほおりのみこと)は海の神の娘と結ばれました。こうして生まれた鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)は、天の神・山の神・海の神、三つの血筋を受け継ぐことになります。邇邇芸命から鵜葺草葺不合命までの三代を、日向三代(ひむかさんだい)と呼びます。
| 代 | 神さま | 結ばれた相手 |
|---|---|---|
| 一 | 邇邇芸命 | 木花之佐久夜毘売(山の神の娘) |
| 二 | 火遠理命 | 豊玉毘売(海の神の娘) |
| 三 | 鵜葺草葺不合命 | 玉依毘売(海の神の娘) |
花の姫と岩の姫
山の神は、邇邇芸命に姉の石長比売(いわながひめ)と妹の木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)をそろって嫁がせました。ところが邇邇芸命は妹だけを手元に残し、姉を帰してしまいます。岩は永遠の命、花は栄えを表していました。岩の力を退けたため、天孫の子孫の命は花のように美しくても限りあるものになった、と『古事記』は語ります。
天皇の祖先が「寿命を持つ存在」になった場面であり、神話のうえで神から人へと移る転換点です。それでも、神の性格を受け継いだ存在と考えられてきました。
神武天皇の即位と建国の詔
鵜葺草葺不合命の子が、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)、のちの神武天皇です。日向から東へ向かう長い旅(東征)については、次の記事で紹介します。
『日本書紀』によれば、神武天皇は大和の橿原(かしはら)に都を開くにあたって詔(みことのり)を出しました。そこにある「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(せ)む」という一句から、のちに「八紘一宇(八紘為宇)」という言葉が生まれます。世の中を一つの家のようにまとめよう、という理想を述べたものです。
2月11日の由来
『日本書紀』は神武天皇の即位を「辛酉(かのととり)の年の正月一日」としており、これは西暦に直すと紀元前660年にあたるとされます。この日付を太陽暦に換算したのが2月11日で、現在の建国記念の日になっています。
神話をどう読むか
ここまでが、日本の歴史の最初の時代です。国内に文字の記録がないため、考古学の成果、中国の歴史書、各地の言い伝え、そして後の時代にまとめられた記紀を組み合わせて、少しずつ姿を探るしかありません。
神話には事実とは思えない話も多く含まれます。けれども、それを書き残した人々が何を信じ、何を大切にしていたかを知る手がかりになります。宮崎県や鹿児島県には、高千穂や霧島など日向三代ゆかりの伝承地が数多くあります。訪ねてみると、神話がいまも土地に息づいているのが感じられます。

