京都府京都市左京区の山あいへ入ると、水の音が先にあります。鞍馬山と比叡山に挟まれた谷を、貴船川(きふねがわ)が下っています。その源流に鎮座するのが、貴船神社(きふねじんじゃ)です。清流のほとりで、古くから水の神として仰がれてきました。
賀茂川になる前の、水の根本
貴船川は、下流で賀茂川(かもがわ)となり、上賀茂神社と下鴨神社のある町なかへ流れ込みます。貴船神社は賀茂川の源流に位置し、上賀茂神社から約500メートル上流の、神聖な場所とされてきました。川の根本を祀ることが、下流の賀茂の信仰における水の根本を祀ることでもありました。古代の人にとって、川の始まりは、神の席でした。
社伝では、反正天皇(はんぜいてんのう)の御代、約1,600年前に創建されたとされます。平安京へ都が移ったとき、新しい都の守護神として崇敬され、賀茂の社とともに、朝廷の祭祀に深く関わりました。
雨を司る神と、山から来た神
主祭神は高龗神(たかおみのかみ)です。名のとおり、水と雨と水脈を司る神で、古事記と日本書紀における水の神格として知られます。のちに大山咋神(おおやまくいのかみ)も合祀されました。大山咋神は、比叡山の日吉大社や、松尾山の松尾大社でも祀られる神で、山と水の両方を持ちます。貴船では、水の神と山の神が一体として信仰されています。古事記では、大山咋神を山末之大主神(やまつえのおおなむちのかみ)とも呼びます。山から水が生まれ、里へ下る循環を、二柱の名が一つの社で受けているように見えます。
境内の奥には奥宮(おくみや)があり、さらに奥の神域として水の神が祀られています。本宮から奥へ進むほど、川の音は近くなります。
生きた馬が、板の絵馬になるまで
貴船には、白馬(しらうま)の伝説が残ります。古代、都に雨が降らず困ったとき、神託によって白馬を奉納すると、雨が降り、干ばつが解けた、と伝えられます。雨乞いの信仰は、ここから語られてきました。
当初、人が神に献じたのは生きた馬、活馬(いきうま)でした。のちに、木の板へ馬の姿を描いた馬の絵馬に代わり、願いを書いて奉納する今の絵馬(えま)へ発展したとされます。貴船神社は、馬の絵馬の発祥の地として知られ、境内には馬に関わる信仰の跡が残っています。雨を欲するあまりに馬を一頭献じる切実さが、板絵一枚の習慣のなかに、まだ残っています。
歌で雨を止め、歌で社を覚えた
平安時代、貴船は和歌(わか)の聖地として栄えました。瀬音と深い森が、歌人の心を捉え、多くの歌がここで詠まれます。雨が降りすぎるときには、和歌を奉納して雨を止める、雨止めの信仰もありました。歌の力で自然を鎮める。文学と祈りが、同じ紙の上に乗っています。
奥宮への参道は、夏には涼しい木陰のトンネルになり、紅葉の季節には谷が色を変えます。都の喧噪から離れた静けさは、いまも人を引きます。雨が欲しい年と、雨が多すぎる年とで、貴船に人が持ってくるものは違いました。干ばつには白馬、のちには馬の絵。降りすぎる雨には、和歌です。水の神である高龗神に、足を持つ捧げものと、言葉の捧げものの両方を届けてきたことになります。鞍馬山と比叡山に挟まれた谷は、日が落ちると急に暗くなります。貴船川の瀬音だけが残るその時間に、人は水の神が近いと感じます。上賀茂神社から約500メートル。距離にすれば短い上流が、賀茂川になる前の水を、別の神域にしています。約1,600年前、反正天皇の御代に創建されたと社伝が語るこの場所は、平安京の守護となってからも、都の水の根本であり続けました。
古事記の国生みの周辺では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻ったあと、水に関わって神が生まれる場面があります。水は、神が立つ源であり、人の暮らしを支えるものとして語られてきました。貴船川の源流に高龗神を祀ることは、その水の神話を、京都の水の始まりという場所で受け継ぐことです。白馬を奉納して雨を乞うのも、水の神への祈りの、古い形の一つです。
同じ大山咋神は、西の松尾では、水を酒に変える神として迎えられます。松尾大社と、酒の神の話です。


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