京都府京都市西京区、松尾山(まつおやま)の麓に着くと、酒の匂いが先にあります。境内には、全国の酒造家(しゅぞうか)から奉納された酒樽(さかだる)が並びます。松尾大社(まつおたいしゃ)は、酒造の神(しゅぞうのかみ)として名高く、日本で最も古い酒造の神社のひとつとされてきました。酒造家は、新酒を造る前や、発売の前にこの社へ参拝し、良醸(りょうじょう)を願う習慣を今も守っています。酒樽の前で足を止めると、木の香りと酒の香りが一緒に立っています。まだできていない酒の出来を、樽を置くことで山の神に預けるのです。松尾山の湧水が醸造に向いていた、という土地の条件が、信仰の芯に残っています。水が良かったから、神が酒を守る、と人は理解してきました。
都の西を、山の末端が守る
松尾大社は、京都の西の守護神としても知られ、平安京へ都が遷ったときから、都の繁栄を祈る社として崇敬されてきました。祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)です。同じ神は、比叡山の日吉大社(ひよしたいしゃ)でも祀られ、貴船神社にも合祀されています。東の日吉と西の松尾は、平安京を両側から守る守護として仰がれました。
古事記によれば、大山咋神はまたの名を山末之大主神(やまつえのおおなむちのかみ)といいます。山末とは、山の麓や、山の末端を意味し、人が暮らすふもとを守る神の性格を表します。山の神としての側面と、国土を治める神としての側面を、一つの名が併せ持っています。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)から続く系譜のなかにも、この神は置かれてきました。
酒造の神となった背景には、土地の条件があります。松尾山の湧水は、良い酒を造るに足りる水でした。古代から、この地では酒の醸造と祭祀が行われていたとされます。水と米と山の神。酒に必要なものが、大山咋神の御神徳として結びつきました。古事記の世界で山の神は、木材、狩猟、水の源流といった恵みをもたらします。松尾の湧水は、その恵みが、杯の中まで下りてきた形です。
701年に公式となり、それ以前から酒があった
公式な創建は、文武天皇(もんむてんのう)の御代、701年、大宝元年とされます。朝廷の記録に基づく年です。ただし、それより前から松尾山では醸造と祭りがあったと考えられ、701年は、古い信仰を公式の社として整えた年だと理解されてきました。平安時代以降、酒造の神としての信仰は全国の酒造家へ広がり、江戸時代には全国の酒造組合から奉納が寄せられるようになります。並ぶ樽は、その歴史の、いま見える端です。
もう一つの伝えでは、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が、酒造りの技術を伝えたとされます。市杵島姫命は宗像三女神の一柱で、海の女神でありながら、酒の醸造に関わる女神としても信仰されてきました。古代、酒は神事における聖なる供えものであり、酒造りは神聖な仕事でした。神前の酒、お神酒(おみき)は、神への供えもののなかでも特に厚いもののひとつです。古事記や日本書紀にも、神々が酒を口にする場面は繰り返し現れ、酒は人と神をつなぐものとして置かれてきました。
毎年11月には新嘗祭(にいなめさい)が行われ、収穫した新米で醸した新酒を、神前に捧げる古式が執り行われます。収穫を告げる祭りのなかに、酒造りが最初から入っています。海の女神の手が西京の麓まで及んだ、という語り方は、樽の列のなかにまだ残っています。
同じ神が、東では山王と呼ばれた
日吉大社では、この神は山王権現(さんのうごんげん)として、神仏習合の信仰のなかでも厚く祀られました。松尾大社の中心は、一貫して酒造の神としての信仰です。同じ神でも、祀る場所によって、人が期待する働きの重点は変わります。東の山と西の山が、平安の都を挟んで別の顔を見せているのは、そのためです。
11月の神前に新酒が並ぶとき、人は樽の列のあいだを歩いて、山の末端に座す神が杯の中まで下りてきていることを確かめます。樽の列をあとにすると、次に仰ぐのは、火を噴く山そのものです。浅間さまと、富士山の話へ移ります。


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