11月23日の午前、宮中三殿に隣接する場所で、新嘗祭が営まれています。その年の新しい穀物を、天照大御神(あまてらすおおみかみ)をはじめとする神々に供え、天皇自らも召し上がる祭です。祭典は、午前十一時を過ぎるまで及びます。街が昼に差し掛かるころ、宮中の一年で最も重い食の儀が、まだ続いている。祭祀を執り行う天皇は、日々、祖先と神に感謝し、世の平安を天照大御神に祈っています。その祈りは、この一日だけでは終わりません。
皇室の祭祀は、大きく恒例祭典と臨時祭典に分かれます。そのなかに、大祭と小祭があります。
自ら拝む日と、掌典が祀る日
大祭は、天皇が三殿で自ら拝礼し、皇太子や皇族が列に加わる祭です。小祭は、天皇が拝礼し、掌典(しょうてん)が祀りを担う祭です。掌典は皇室の祭祀を司る人々で、宮内庁に仕えています。名も実も、時代が変わっても古代からの流れを引く役です。いま仕えるのは、掌典長が一名、掌典次長が一名、掌典が五名、女性の内掌典(ないしょうてん)が五名です。天皇の拝礼のそばで、詞と供えを進める人数が、この顔ぶれです。
このほか、毎月1日、11日、21日には、三殿で旬祭(しゅんさい)が営まれます。日々の感謝の祈りもあり、毎朝には、侍従が代わって行う毎朝御代拝(まいちょうごだいはい)があります。大祭の荘厳と、朝の静かな代拝は、同じ祭祀の両端です。毎朝御代拝の時刻、三殿の前はまだ静かです。天皇に代わって侍従が頭を下げる。その拝は、表に大きく出ない小ささです。一方、11月23日の新嘗は、午前十一時を回っても続き、天皇自身が新しい穀を口にします。神と人が、同じ新米を分け合う。重い日と、毎朝の代拝は、一年を途切れさせないための二つの速度です。掌典長一名、次長一名、掌典五名、内掌典五名。この人数が、三殿の一年を回しています。大祭の日は天皇と皇族がその輪に入り、小祭の日は掌典の祀りが前面に出ます。
正月から12月までの名
恒例の祭には、それぞれ日付があります。1月1日は歳旦祭。年の初めに、世の平安を祈ります。1月3日は元始祭。皇位の大本と、その由来を祝い、国と人々の繁栄を祈る祭です。1月7日は昭和天皇祭。2月17日は祈年祭。その年の穀物を、まだ芽の季節に祈ります。2月23日は天長祭。4月3日は神武天皇祭。春分の日には春季皇霊祭と春季神殿祭、秋分の日には秋季皇霊祭と秋季神殿祭が並びます。昼と夜の長さが釣り合う日に、皇霊殿の霊と、神殿の神々へ向かう祭です。
6月16日は香淳皇后例祭、12月25日は大正天皇例祭などが営まれます。10月17日は神嘗祭の儀。11月23日が、さきほどの新嘗祭です。12月の中旬には、賢所御神楽の儀があります。鏡を祀る賢所で、一年の終わりに楽を奉ずる。ここまでが、毎年めぐる恒例の柱です。旬祭は、月を三度に割ります。1日、11日、21日。月の初めと、10日ごとの区切りに、三殿へ拝が戻る。名が多いのは、祈る相手と、祈る季節が、一つでは足りないからです。春分と秋分には皇霊と神殿が対になり、10月の神嘗、11月の新嘗、12月中旬の賢所御神楽が、秋から冬へ稲と楽を運んでいきます。
臨時の祭祀には、即位の礼や大嘗祭に関わる諸儀が、数多くあります。大嘗祭は、特別に営まれる祭です。恒例の新嘗が毎年の新穀を供えるのに対し、大嘗は即位に伴って重い形で一度営まれる側の祭として、伝えられてきました。
令が廃されたあとも、祭は残った
明治以降、国の制度が整えられるなかで、旧皇室典範の下に皇室祭祀令が置かれます。制定は、明治41年です。祭の名と、大祭と小祭の別が、法令の文章になりました。
昭和21年に日本国憲法が公布され、翌昭和22年5月3日に施行されます。その前日、昭和22年5月2日、皇室祭祀令は廃止されました。法令は消えます。祭祀は、皇室の行事として、前例に従って続けられました。昭和30年、昭和天皇の定めによって、皇室祭祀令に準じる形で、祭りの大要が整えられます。法が祭祀を支える時代から、前例と天皇の定めが祭祀を支える時代へ移ったのです。
歴代の天皇は、長いあいだこの祭を重ね、世の幸せを祈ってきました。新嘗の米も、祈年の言葉も、宮中の内側では閉じません。宮中を出て、勅使が祈りを届ける勅祭社へ、視線は移ります。


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