12月に入ると、氏神の社務所の窓口に、白い紙の札が積み上がります。神宮大麻(じんぐうたいま)です。受け取る人は、去年の札と取り替えるように、新しい一枚を風呂敷へ包みます。地域を守る氏神のお札と、この神宮の札。神棚では、二つを並べてまつります。氏神が土地の神だとすれば、伊勢の神宮に祀られる天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、国の総氏神として仰がれてきた神です。家の棚は、その二つが落ち合う場所になりました。12月の窓の外は、もう暗い。社務所の窓口だけが明るく、受け取る人の吐く息が白い。札は薄い。薄い一枚が、伊勢の内宮までを、家の棚へ接続します。中央に神宮大麻を納め、対になる氏神の札とともに、一年をまつる。古い札は煤を吸い、新しい札はまだ紙の白さが強い。入れ替わる瞬間が、家の年末です。
名前の由来は、祓いの具にある
大麻という字は、強く見えます。もとの読みは、おおぬさです。お祓いに使う道具の名でした。明治より前、神宮の札は祓大麻、あるいは御祓大麻と呼ばれていました。札は、願いを書き込む紙というより、祓いを家へ届ける形をしていたのです。呼称が変わっても、中央に納めるときの気持ちは、清めてもらうことに近い。
明治以前、この札を全国へ運んだのは御師(おし)でした。祈禱と配布を一身に担い、遠い家の神棚まで伊勢をつないだ。江戸時代の終わりには、約九割の世帯が神宮のお札をまつっていた、という記録が残っています。ほぼすべての家の棚に、伊勢があった。十軒のうち九軒が、同じ神の札を迎えていた、と考えると、江戸時代の終わりの日本は、参宮の有無とは別に、すでに伊勢を室内へ招いていたことになります。旅は一生に一度でも、札は毎年入れ替わる。御師の足が、その入れ替わりを支えていました。
いま、神宮大麻は全国の氏神を通じて、各家庭へ頒布されます。御師が歩いて配った道筋を、地域の神社の窓口が引き受ける形です。総氏神の札を、土地の神の社が預かり、家へ渡す。棚の上で二つの神が隣り合う理由は、この頒布の仕方にも現れています。
一年をかけて、札は札になっていく
正月の棚に白い札が並ぶころ、作る側の一年は、すでに深く進んでいます。その一年は、冬に始まります。
1月8日、伊勢の神宮で大麻暦奉製始祭が営まれます。天照大御神に、その年の大麻を作り始めることを奉告し、清浄な大麻への祓いが始まる祭です。同じ流れで作られる神宮暦には吉凶が記され、伊勢暦とも呼ばれてきました。札と暦は、伊勢の一年を家へ届ける対の品でした。
4月の中旬には、大麻用材伐始祭があります。伐り出した用材は、五十鈴川(いすずがわ)の畔にある奉製所で乾かされます。札の紙は、外宮の近く、明治以来続く製造所で漉かれます。水は、宮川の伏流水です。作業にあたる職員は白衣に着替え、全員で内宮と外宮を参拝してから、手を動かします。木を伐り、紙を漉き、その前に宮へ頭を下げる。製造は、最初から祭の内側に置かれています。
9月17日が、大麻暦頒布始祭です。奉製された大麻は、大祓の修祓を経て御神札になります。多くの神社関係者が列に加わり、ここから各家庭への頒布が始まります。終わりは、翌年の3月1日です。大麻暦頒布終了祭をもって、その年の札の旅は閉じます。1月に始め、4月に材を整え、9月に出し、翌春に終える。家で一年まつる札の裏側には、伊勢の別の一年があります。
神楽殿の札は、参拝のしるしである
神宮を詣でた人は、神楽殿でもお札を受けられます。それは、参拝のしるしとしていただく札です。氏神を通じて届く神宮大麻とは、意味が違います。一つは、その日宮に立った記念です。もう一つは、氏子としての家が、総氏神と一年をともにするための札です。どちらも伊勢から出ます。納めるときの気持ちだけが、旅の記念と、暮らしの中心とに分かれます。
神棚の中央で天照大御神をまつるとき、家は伊勢の物語を室内へ置いています。その神が皇孫に託したと伝えられる鏡と玉と剣、三種の神器のほうへ、話は移ります。


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