即位の日の映像で、人が息をひそめて見る品があります。令和元年5月1日、皇居の宮殿、正殿の松の間で、剣璽等承継の儀が営まれました。侍従が持つ剣と璽(じ)、そして御璽と国璽。小さな箱と剣が、皇位とともに次の天皇へ移る場面です。鏡と玉と剣。この三つを、三種の神器と呼びます。歴代の天皇が、皇位とともに受け継いできたしるしです。
名は、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。剣は、草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれます。由来は、古事記と日本書紀の物語のなかにあります。三つの品は、別々の場面で現れ、最後に一つの手に集まります。
岩戸の外で、鏡が光を映した
最初に姿を見せるのは、鏡と勾玉です。天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に隠れ、世界から昼が消えました。八百万の神々は、戸の前で祭を開きます。その祭に用いられたのが、鏡と勾玉でした。
外が賑やかなので、天照大御神は何事かと、戸を少し開けます。そこに鏡がありました。映った自分の姿、その光を見て、大御神は再び外へ出た、と伝えられます。光が戻り、乱れていた世が静まる。鏡は、隠れた太陽を外へ誘うための道具として、物語に入ります。勾玉は、その祭を飾る玉として、鏡と並んでいました。
蛇の体内から、剣が出てきた
剣の登場は、出雲です。須佐之男命(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を討ったとき、その体内から出てきたのが、この剣でした。荒ぶる神が、地上の脅威を断ったときに剣を得る。須佐之男命から続く子孫の物語は、のちに大国主神(おおくにぬしのかみ)へ至り、有名な国譲りにつながっていきます。
天照大御神は、高天原から天孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を地上へ遣わすとき、鏡を渡して言いました。この鏡を、私だと思って、住まいする御殿で祀りなさい、と。そのとき勾玉と剣もともに託され、鏡・勾玉・剣が揃います。大国主神から譲られた国土を、孫の瓊瓊杵尊に治めさせる。そのしるしが、三種の神器です。日本書紀にも、同じ筋が記されています。
鏡は伊勢へ、剣は熱田へ向かった
神器は、やがて宮中の外へも出ていきます。三代を経て即位した神武天皇は、それまで宮中に祀っていた御鏡を、倭の笠縫邑(かさぬいむら)で祀ることにしました。時が過ぎ、第10代の崇神天皇の御代には、御鏡は崇神天皇の御殿に隣接して祀られます。崇神天皇はひとりで祈り、共に住むのは畏れ多いとして、距離を置きました。笠縫邑に祀られていた御鏡は、皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)の手で、伊勢の神宮に祀られるようになります。鏡の本体は、伊勢へ移ったのです。倭姫命が御鏡を伊勢の神宮へ遷すまでのあいだ、鏡は笠縫邑にあり、崇神天皇の御殿の隣にもありました。共に住むことを畏れた気持ちが、鏡を宮中のすぐそばから、さらに遠い伊勢まで押し出した、と物語は続いていきます。人の手で運ばれる神器は、その距離の分だけ、皇位のしるしであると同時に、畏れのしるしでもありました。
剣のゆくえは、もう一世代あとに動きます。第12代の景行天皇の御代、日本武尊(やまとたけるのみこと)は東国を平定する役目を負い、伊勢の神宮に立ち寄って祈ります。倭姫命から渡されたのが、剣でした。日本武尊は、妻の宮簀媛(みやずひめ)の家にその剣を置いたまま、伊吹山の平定へ向かいます。そして、帰らない。残された神剣は、宮簀媛によって熱田神宮で祀られるようになりました。
このとき、三種の神器の写しを添え、御鏡と剣の写しを宮中に祀ることが定められます。神剣の分身と勾玉は、宮中で天皇の住まいの近くに安置されてきました。勾玉は剣璽とともに、皇位継承の証とされてきたのです。松の間で受け継がれる剣と璽は、この長い移動のあと、宮中に残された側の姿です。本体の鏡は伊勢に、本体の剣は熱田にあります。宮中にあるのは、鏡と剣の写し、剣の分身、そして勾玉です。
三つの品は、三つの場所に分かれたまま、一つの皇位を指しています。その鏡を中心に据える宮中三殿、賢所(かしこどころ)・皇霊殿(こうれいでん)・神殿が、次の場所です。


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