参道で、人はお伊勢さんと呼ぶ
三重の参道を歩く人は、親しみを込めて「お伊勢さん」と呼びます。正式には、神宮と申し上げます。神宮とは、皇大神宮、すなわち内宮と、豊受大神宮、すなわち外宮、および別宮などを含めた百二十五社の総称です。内宮と外宮を軸に、別宮が十四、摂社が三十三、末社が二十四、所管社が四十二。これらを合わせて、百二十五社と数えます。
内宮と外宮だけを思い浮かべて来る人は、社の数に足を止めます。すべてを参るには、何日あっても足りない。社は伊勢市、度会町、玉城町、明和町、志摩市、鳥羽市などに広がっています。地図の上で町の名を追うと、一日の参拝では届かない距離が出てきます。内宮の別宮は荒祭宮を第一として十所、外宮は多賀宮ほか四所。別宮十四は、この十と四に分かれます。その先に摂社三十三、末社二十四、所管社四十二が続き、合わせて百二十五社です。一つの参道の奥に正殿が一つあるだけでなく、町を越えて宮が散らばっています。お伊勢さんという呼びかけは、その全体への愛称です。神宮とは、一つに束ねた正式の名です。
食事を調える神が、先に立つ
外宮の御祭神、豊受大御神(とようけのおおみかみ)は、御饌都神(みけつかみ)です。内宮の天照大御神にお食事を調え、祭る神として、美しい縁で結ばれています。だから、内宮の参拝に先立ち、外宮を参拝するのが正式とされています。食事を調える方に、先に挨拶をする。
内宮には、荒祭宮(あらまつりのみや)を第一の別宮とし、ほかを合わせて十所の別宮があります。外宮には、多賀宮(たかのみや)ほか、合わせて四所があります。正宮の奥へ進む前に、第一の別宮の名だけでも耳に残しておくと、境内の脇道が、序列のなかの席に見えてきます。食事を調える神に先に頭を下げる順は、夢のあとさきとして、いまも参拝の正式な道順です。
皇居から、五十鈴川のほとりまで
神宮の創祀は、約2000年前のこととされます。天孫降臨以来、天照大御神は皇居のなかに祀られていました。崇神天皇の御代に、倭笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)、いまの奈良県桜井市へお祀りされることになります。次いで垂仁天皇の御代、皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)が諸国を巡ったあと、現在の五十鈴川のほとりに鎮座することになりました。
豊受大御神が伊勢へ来たのは、5世紀後半、雄略天皇の御代です。丹波国から遷され、外宮が始まりました。天照大御神が夢に現れ、丹波の御饌都神を自分のもとへ連れてくるように、と告げた、と伝えられています。食事を調える神を、そばに置く。倭姫命が諸国を巡ったのは、鎮座の地を、一度の決定で終えなかったからです。川のほとりに落ち着くまで、神は土地を選び続けました。外宮が後から丹波より着いたことで、食事を調える神と、食事を受ける神が、二つの宮に分かれます。参拝が外宮から始まる正式な順は、この分かれ方のまま、いまの参道に残っています。
高天原で最高の神が、国民の総氏神になる
内宮の御祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)です。天照大御神は、高天原の神々のなかで最高位にあり、日本国民の総氏神とされます。古事記と日本書紀に描かれるこの神は、皇室の祖神であり、伊勢の内宮に鎮座します。倭姫命が諸国を巡って鎮座の地を定めた伝承は、神宮の歴史の根幹です。
伊勢の神宮は、ほかの神社と一線を画しています。全国のほとんどの神社が、神宮を「本社」と仰いでいます。家の神棚の中央に祀る神宮大麻も、この天照大御神への信仰につながっています。棚の札の奥にいる神を、川のほとりの社で訪ねる。参道の砂利は、そのための道です。高天原で最高位であった神が、五十鈴川のほとりで国民の総氏神と呼ばれるようになったとき、伊勢は一地方の社の名を超えます。神宮大麻を中央に迎えた家は、伊勢へ来る前から、すでにその神と向かい合っています。
神宮では、一年のうちに何度も、食事と初穂が捧げられます。次に見るのは、神嘗祭、月次祭、祈年祭、新嘗祭と、その神饌です。


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