鳥居をくぐった直後に、水の音がします。屋根のある手水舎で、柄杓が置いてあることも、竹筒や龍の口から細い流れだけが出ていることもあります。参拝の前に手と口をすすぐこの行いを、手水(てみず、ちょうず)と呼びます。神の前に立つ前に、心と体の穢れ(けがれ)を落とし、清らかになるためです。
水で身を清めることは、神道で最も大切な儀式、禊(みそぎ)が縮まったものです。その始まりは、古事記の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)にあります。
川に入った神から、三柱が生まれた
国を生んだ男神、伊邪那岐命は、亡くなった妻の伊邪那美命(いざなみのみこと)に会うため、死者の国、黄泉の国(よみのくに)へ下りました。そこで恐ろしい怪物たちに追われ、命からがら、こちら側の世界へ逃げ帰ります。死者の国の気と、穢れを体に浴びて戻った神は、自分は汚く不浄な国へ行ってしまった、体に浴びた汚れを清めるために禊をしよう、と言いました。
身に着けていた衣服と装飾をすべて脱ぎ、清らかな川の水に深く身を沈め、体に溜まった穢れを洗い流します。日本の歴史における最初の禊であり、いまの手水は、この川への潜入が、手元の一杯まで短くなったものです。
水に入った伊邪那岐命が、体のところどころを洗い流すたびに、新しい神が生まれていきました。最後に、自分の顔を洗い清めたとき、物語の中心になる三柱が、続けて生まれます。左の目を洗ったときに、太陽を司る最高神、天照大御神(あまてらすおおみかみ)。右の目を洗ったときに、夜と月の国を司る月読尊(つきよみのみこと)。鼻を洗ったときに、海と嵐を司る素戔嗚尊(すさのおのみこと)。この三柱は、神々のなかでも最も貴い存在として、三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼ばれ、古事記の筋の中心になっていきます。
手水で清めるのは、手と口です。その水が、新しい生命と神聖な力を生み出す行いでもある、という考えが、この場面に残っています。穢れを落とす水が、同時に、世界の主役を誕生させているのです。
水辺から、柄杓の一杯へ
屋根のある手水舎が建つより前、古い神社の多くは、清らかな川や海の近くに建っていました。人は参拝の直前、近くを流れる川、御手洗(みたらし)や、海へ直接入って身を清めていました。
伊勢の神宮の五十鈴川(いすずがわ)が、その代表です。内宮、皇大神宮には、いまも川岸に石畳を敷いた御手洗場(みたらしば)があり、参拝者は手水舎の代わりに、五十鈴川の流れで手と口を清めることができます。川そのものが、まだ作法の場所です。
鎌倉時代以降、毎回川や海へ入ることは負担になり、水を引く仕掛けも整ってきます。参道に、水を溜める石の器、手水鉢(ちょうずばち)が置かれるようになりました。それが縮まって、いまの手水舎です。いつでも、清らかな水で身を清められるようになった変化です。
手水舎の看板に、洗心(せんしん)や浄心(じょうしん)と書かれていることが多いのは、手と口とともに、心の内側もここで洗い清めてほしい、という、神からのメッセージです。
作法の要は、最初にくんだ一杯だけで、すべての動作を終えることです。途中で、何度もくみ直さない。
柄杓(ひしゃく)があるときは、こう進みます。まず右手で柄杓を取り、水をくみ、その三分の一ほどを左手へかけて清めます。柄杓を左手へ持ち替え、同じように右手へ水をかけます。もう一度右手に持ち、左の掌に少し水をため、その水を口に含んで静かにすすぎ、そっと吐き出します。柄杓に、直接口はつけません。口をすすいだ左手を清めるため、残った水を左手へ軽くかけます。最後に、柄杓を両手で垂直に立て、残った水が柄を伝って落ちるようにします。自分が触れた持ち手が、これで流れます。終えたら伏せて、元の位置へ静かに戻します。
柄杓のない手水も増えています。感染症への備えなどから、竹筒や龍の口を伝って、水だけが流れ落ちる形です。そのときは、まず両手を水で洗い、両手でくぼみを作って流れを受け、受けた水で口を静かにすすぎ、最後にもう一度、両手を洗います。どちらの場合も、その神社の案内があるなら、それに従います。
五十鈴川の石畳に立てば、柄杓より前の禊が、まだ川の温度のまま残っています。近所の手水舎なら、一杯を分けて、左手、右手、口、左手、柄の順に使うだけで、同じ筋の上に立てます。
水のあと、足は砂利の鳴る道へ進みます。賽銭と、鈴と、玉砂利が、次の話です。


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