鍵穴のような形をした巨大な墓、前方後円墳。日本列島に突然現れたこの墓は、新しい時代の始まりを告げるものでした。
古墳時代の幕開け
3世紀前半、奈良盆地の纒向遺跡(まきむくいせき)に、長さ90メートル前後の前方後円墳がいくつも造られます。3世紀半ばには、全長約280メートルの箸墓古墳(はしはかこふん)が登場しました。ここから6世紀後半までのおよそ400年を大和時代(古墳時代)、その文化を古墳文化と呼びます。
堀や柵で身を守った弥生時代の環濠集落とは違い、巨大な墓は、広い地域をまとめる強い指導者がいたことを示しています。
ヤマト王権と大王
大和(奈良県)を本拠にした勢力をヤマト王権、その長を大王(おおきみ)と呼びます。大王はのちに天皇と呼ばれるようになります。大和や河内(大阪府)に特に大きな古墳が集まっているのは、各地の豪族が大王のもとに連合していたからだと考えられています。
戦前は「大和朝廷」という呼び方が一般的でした。ただ「朝廷」は整った統治のしくみを前提とする言葉なので、初期については「ヤマト王権」、その国を「大和国家」と呼ぶことが増えています。
全国に広がる同じ形
前方後円墳は、約150年のうちに北海道・東北北部・沖縄を除く列島各地へ広がりました。その数は約5200基にのぼります。
| 墳丘の長さ | 確認されている数 |
|---|---|
| 300m以上 | 7基 |
| 200m以上 | 40基 |
| 100m以上 | 326基 |
せまい列島に、短い期間でこれほど巨大な墓が集中する例は、世界でもほかにありません。朝鮮半島南部にもわずかに見られますが、年代が新しく、日本の影響を受けたものと考えられています。
同じ鏡が語るつながり
各地の古墳から、同じ型で作られた三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が見つかっています。大王と地方の豪族が、鏡を通じて結ばれていたことがうかがえます。同じ形の墓を造ることは、大王を中心とするまとまりに加わっている証しだったのでしょう。
埴輪と副葬品
古墳の表面は石で覆われ、まわりには埴輪(はにわ)が並べられました。円筒形のものから、人・馬・家をかたどったものまであります。初めのころは鏡や勾玉、剣などが、後になると馬具や鉄の武器・農具が納められ、騎馬の文化が入ってきたことが分かります。

