香川県仲多度郡琴平町へ着くと、最初に目に入るのは長い坂です。琴平山(ことひらやま)の中腹まで、石段が長く続きます。瀬戸内海に面したこの山は、海上から眺めると、水面に浮かんでいるように見えます。山と海が分かたれない場所に、金刀比羅宮(ことひらぐう)は鎮座しています。人はここを、こんぴらさんと呼びます。
坂の途中で、海の神に近づく
金刀比羅宮は、全国に広がるこんぴら神社の総本宮です。古くから、海と山が一体となった信仰の場であり、航海の守護神として仰がれてきました。参拝者は坂を登りながら、少しずつ神域へ入ります。江戸時代には四国参詣(しこくまいり)の道として多くの人が訪れ、いまも参拝者の数は、日本有数です。登り切るまでの足の重さを、人は祈りの誠に読み替えてきました。「こんぴらさんに参る」という言葉が、困難な坂を上り切る忍耐と誠意の象徴になったのは、そのためです。
かつては、琴平山一帯が禁足地(きんそくち)とされ、誰もが自由に踏み込めない場所でした。水を汲みに行くだけの場所だった、という伝承も残ります。いま石段を上れること自体が、神域の厳しさが形を変えたあとの光景です。
大物主神の、穏やかなほうの魂
主祭神は、大物主神(おおものぬしのかみ)の和魂(にぎみたま)です。大物主神は、三輪山を神体とする大神神社(おおみわじんじゃ)でも祀られる、古い神です。古事記では、大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名として現れます。国造りの場面で、少名毗古那神(すくなひこなのかみ)とともに国土を整え、豊かな国を作った神です。
少名毗古那神は、仕事を終えると常世の国(とこよのくに)へ去ります。残された大国主神は、われは大物主神となり、ここに千五百秋の宮を作らん、と告げたと、古事記は記します。一つの神の別名が、この一言で結ばれます。大国主神はのちの国譲りでも中心に立ち、優しい神として親しまれてきました。金刀比羅宮が祀るのは、その和魂です。穏やかな側面を、海上安全と航海守護の神として迎えています。荒れる海の力を鎮め、船乗りと旅人を守る。こんぴら信仰の中心は、そこにあります。神は山にも海にも宿り、人の往来を支える、という古い感覚が、この坂の上では航海の安全という具体的な願いになっています。
金毘羅という名で、海の守護を借りた
神仏習合の時代、この社は金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)と呼ばれ、仏教の守護神としても信仰されました。金毘羅という言葉は、インドの神話に由来し、日本へ伝わるなかで、海の守護神として神仏習合のなかに取り込まれたものです。明治時代の神仏分離令(しんぶつぶんりれい)により、神社と寺院は分けられ、名は金刀比羅宮と改められます。社名は変わっても、海上安全への祈りは残りました。船乗り、漁師、商人は、同じ山に頭を下げ続けます。
船の形をした、礼の絵馬
江戸時代、瀬戸内海を行き交う船乗りの信仰は、特に厚くなります。航海の安全を願い、全国から人が琴平を目指しました。無事に戻った人は、船絵馬(ふねえま)を奉納します。船の形をした絵馬に、船の名前や航海の様子を描き、感謝と次の祈願を一緒に置きます。その習慣は、境内の船絵馬として今も残っています。
総本宮から、こんぴら神社は全国へ勧請されました。港町、漁村、商業の町に、海上安全と商売繁盛を願う社が建ち、海岸線に沿って広がります。いま金刀比羅宮に願われるのは、交通と航海の安全、商売繁盛、家内安全です。坂の上で船の絵を見るとき、山の神の穏やかな魂が、海の道を預かってきた時間の長さが分かります。絵馬に描かれた船は、一艘ずつ名前を持っています。どの港を出て、どの海峡を抜け、無事に戻ったのか。奉納する人は、航海の様子を絵のなかに残すことで、神への礼と、次の出航への願いを同じ板に載せていました。瀬戸内の潮は速く、島影は近いのに、風の向きひとつで船は帰らなくなります。山が海に浮かんで見えるこの場所を船乗りが目指したのは、山の神の穏やかな魂に、荒い水面を預けたかったからです。坂を上り切る忍耐は、その預け方そのものでした。
海の守りは、瀬戸内のこの山の先にも続いています。大阪の湾を見てきた住吉さんのほうへ、同じ祈りは向かいます。


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