大阪府大阪市住吉区に着くと、赤い橋が最初に目に入ります。反橋(そりはし)と呼ばれる太鼓橋です。弧を描いて境内へ渡ると、その先に社殿が四棟、一直線に並んでいます。住吉大社(すみよしたいしゃ)。人は住吉さんと呼び、全国に約2,000社ある住吉神社の総本社として、海の神、航海の守護神を仰いできました。
海を、三つの深さに分ける
主たるご祭神は、住吉三神(すみよしさんじん)と呼ばれる三柱の男神です。表筒男命(うわつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、底筒男命(そこつつのおのみこと)。筒(つつ)は海の深さを表す言葉だとされ、表と中と底は、海の表層、中層、深層を司る、と解釈されてきました。三柱はともに、船が安全に進むことを守ります。
社伝では、神功皇后(じんぐうこうごう)の時代に創建されたとされ、日本でも最も古い部類の神社のひとつと伝えられます。古代から、大阪湾を渡る人の航海安全を預かって発展しました。平安の物語も、この社を知っています。源氏物語の「若菜」の巻には、光源氏が住吉大社へ参詣する場面があります。海の神の社は、文学の道筋にも入っていました。
穏やかな魂と、働いている魂
四つの社は、第一本宮から第四本宮までと呼ばれます。この並びそのものが、住吉の大きな特徴です。第三本宮が主社とされ、そこには住吉三神の和魂(にぎみたま)、穏やかで福をもたらす魂が祀られています。第四本宮には、同じ三神の荒魂(あらみたま)、活動的で力強い魂が祀られています。
一つの神には、穏やかな側面と、活動的な側面があると考え、それぞれを別の社殿で祀ることがあります。この形を、二柱祀り(にちゅうまつり)と呼びます。住吉大社は、その典型として伝えられてきました。福をもたらす魂と、力強く働く魂を、隣り合う社に分けて置くことで、海の神の両面を同時に失わないようにしています。
社殿の様式は住吉造(すみよしづくり)です。神社建築の最も古い形式のひとつとされ、直線の屋根に赤い塗装が施されています。古代の建て方が、色を保ったまま残っているように見えます。
渡る前に祈り、戻ってから社を建てた
神功皇后は、日本書紀に登場する伝説上の女帝です。三韓征伐(さんかんせいばつ)のとき、朝鮮半島へ海を渡ったとされます。その遠征で住吉三神が現れ、皇后の船を守った、という伝えが、海の守護神としての位置を定めたとされてきました。渡る前に三神へ祈願し、無事に戻ったあと、感謝の社を建てた。創建を語る伝承は、その順序で語られます。境内には神功皇后も合祀され、海の神と皇后の信仰が一つの社のなかにあります。
日本書紀のこの渡海が、住吉信仰の神話的な土台になりました。古事記の世界でも、海は神の宿る領域です。黄泉の国から戻った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、海水に関わって神を生む場面は、海そのものを、神が生まれる場所として語ります。表、中、底という三つの名は、その海の厚みを、神の名に分けたものだと考えられてきました。和魂と荒魂を分けて祀ることも、神には福を渡す力と、災いを退ける力の両方がある、という見方を、祭祀の形にしたものです。
1月の辰と、夏を越える祓
総本社から、住吉神社は全国へ勧請されました。港町や海辺では、航海の安全と漁業の豊漁を願う社が、海岸線に沿って建ちます。御神徳は、航海安全、漁業繁栄、商売繁盛、厄除けに及び、海の仕事をする人からの信仰が厚いものです。大阪の商人の文化とも、深く結ばれてきました。
毎年1月には初辰祭(はつたつさんまいり)が行われ、住吉の年中行事の始まりを告げます。夏には、夏越の祓(なごしのはらえ)の風習も広く知られています。反橋を渡り、四つの本宮を順に歩くとき、人は海の表から底までを、足元の直線でたどっていることになります。
海の女神たちの社は、ここから西の海に続いています。宗像さまと厳島さまが、同じ航路の守りを別の名で受けている話です。


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