広島県廿日市市の宮島(いつくしま)に着くと、潮の高さで景色が変わります。満潮のとき、厳島神社(いつくしまじんじゃ)の社殿は海に浮かんでいるように見え、朱の大鳥居が水面に立っています。ここで祀られているのは、宗像三女神(むなかたさんじょしん)です。同じ三柱を、福岡の宗像大社(むなかたたいしゃ)は、分霊の根本として預かっています。
筑紫の海へ、鎮まれと命じた
三柱の名は、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。海の安全を守り、船の航行を願う女神として崇められてきました。日本書紀の伝える筋では、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が身を清めるなかでこの三柱が生まれ、天照大神(あまてらすおおみかみ)は彼女たちに、筑紫(つくし)、すなわち九州の海へ鎮座し、海の安全を守れ、と命じたとされます。天照大神の意志と、素戔嗚尊の力が、海の女神のなかで結ばれます。
古事記の世界では、神の誕生が禊(みそぎ)や祝詞(のりと)と結びついて語られることがあります。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊から三貴神が生まれる流れと、身を清めたあとから女神が立つこの筋は、よく似た型を持っています。三女神は、その型のなかから海辺へ下りたと伝えられてきました。古代の交易路を行き来する船は、出港の前に、この三柱へ頭を下げました。
立ち入りを限られた、海の正倉院
宗像大社は、福岡県宗像市に鎮座します。宗像三女神を祀る御分霊の根本大社(みぶんれいのこんごうたいしゃ)であり、全国の宗像の社や厳島神社へ分霊した社の、元にあたる総本社のような位置にあります。信仰の場は、沖ノ島(おきのしま)を含む宗像市一帯に広がります。
この海域は、古代の海の交易路の要衝でした。朝鮮半島や大陸との交流の玄関口であり、出航の前に海の神へ祈る習慣が、祭祀の厚みを作ります。沖ノ島は古代から祭祀の場として使われ、島には4世紀から9世紀にかけて奉納された、多数の祭祀遺物が残ります。金銅製の装飾品、鏡、刀剣、ガラス製品。海を渡った交易と、島の上の祭祀が、同じ出土品のなかにあります。その豊かさから、島は海の正倉院(うみのしょうそういん)と呼ばれてきました。
2017年、沖ノ島は「神島」としてユネスコ世界遺産に登録されます。いまも一般の立ち入りは制限され、神聖な島としての伝統が守られています。宗像三女神への祈りが、古代から途切れずに続いていることを、人が踏み込めないこと自体が示しています。島に渡れないことは、祈りの形を変えます。人は遺物を自分の目で確かめる代わりに、対岸から海を見て、女神がそこにいることを信じます。4世紀から9世紀まで、鏡や刀剣やガラスが島へ運ばれ続けたのは、一度の奉納では航海の不安が鎮まらなかったからです。交易の船が出るたびに、海の向こうの玄関口へ、もう一つの礼が積まれました。宗像大社に立つ人は、その見えない島を、社の奥と同じ神域として感じています。
平氏が頭を下げた、もう一つの海
厳島神社は、古くから厳島と呼ばれ、海に浮かぶ朱の大鳥居は、この国を代表する景観のひとつです。平安時代後期、平清盛(たいらのきよもり)が篤く崇敬し、社殿の整備と信仰の振興に力を入れたことで、社は大きく発展しました。清盛は参詣を重ね、海上の安全と平氏の繁栄を祈ったと伝えられます。平氏の栄えは、瀬戸内から西の海を押さえることにかかっていました。潮が社を浮かべる景観は、海の上に神の席があることを、船の上からでも知らせます。朱の大鳥居は、その席の入口です。本殿は海に面して建ち、潮が満ちると社殿が海に浮かぶように見えます。1996年には「厳島神社」としてユネスコ世界遺産に登録され、内外から人が訪れます。
宗像大社と厳島神社は、同じ三女神を祀り、九州と中国地方の海の信仰を結んでいます。神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓征伐の伝説とも、この信仰は重なります。皇后が海を渡るとき、海の神々に祈って安全を願った、という伝承が、宗像の海辺の祭祀の歴史と重なるのです。船乗りや商人は、古代の交易路で、出航の前に祈りを置きました。その結晶が、沖ノ島の遺物であり、宮島の潮の上の社殿です。
海の守りを語り終えると、次に見えるのは、剣そのものを神体にした社です。熱田さまと、草薙剣の話へ進みます。


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