愛知県名古屋市熱田区に着くと、大きな鳥居の奥に、格式の高い社殿が控えています。熱田神宮(あつたじんぐう)。人は熱田さまと呼び、全国の熱田神社の総本社として、皇室と武家から崇敬されてきました。この社の御神体(ごしんたい)は、草薙剣(くさなぎのつるぎ)です。日本の三種の神器(さんしゅのじんぎ)のひとつであり、剣そのものが神として祀られています。一般の参拝者が、その剣を直接拝むことはできません。秘されていることが、社の静けさをさらに濃くしています。
尾を開くと、雲の名を持つ剣があった
物語は、出雲で始まります。素戔嗚尊(すさのおのみこと)、古事記に須佐之男命とも記されるこの神は、高天原を追放されて出雲へ下り、悲しむ老夫婦とその娘、櫛稲田姫(くしなだひめ)に出会います。娘は八岐大蛇(やまたのおろち)に求められていました。素戔嗚尊は、大蛇に八度の酒を飲ませて酔わせ、尾を切り開きます。中から現れたのが、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。剣は天照大神(あまてらすおおみかみ)に献上され、素戔嗚尊は櫛稲田姫と結ばれて出雲に住みました。老夫婦が嘆いていたのは、娘を失う夜が、もう決まっていたからです。尾から出た剣は、その場の戦利品から、長い旅へ移ります。人の手を渡り、皇子の危機を救い、最後は尾張の社の奥へ隠れる道を、献上のときに歩き始めています。
剣はその後、天皇家に伝わり、日本武尊(やまとたけるのみこと)に授けられます。景行天皇の皇子である日本武尊は、東国と西国の征伐に赴いた英雄です。東国征伐のとき、敵に追い詰められて火を放たれます。尊はこの剣で周囲の草を薙ぎ払い、火から逃れました。草を薙ぐ剣。草薙剣の名は、その場から付いたと伝えられます。
主祭神は熱田大神(あつたのおおかみ)とされ、建御名方神(たけみなかたのかみ)と同一視されてきました。建御名方神は、出雲の国譲り神話で、天孫降臨を拒んだ武勇の神として知られます。勝利と武運を願う人がこの社に来る背景には、剣の物語と、その武勇の神格が重なっています。
43歳の遺言を、尾張が受けた
征伐の途中、伊勢の神の祟りにより日本武尊は病に倒れ、43歳で亡くなったと伝えられます。死の間際、草薙剣を尾張(おわり)の地に鎮めてほしい、と遺言を残します。43歳という年齢は、征伐の英雄の物語が、勝利の一覧では閉じないことを示します。東国の火は剣で逃れたものの、伊勢の神の祟りには、別の結末が待っていました。尊が最後に頼ったのは、もう一度戦うことより、剣の置き場所を定めることでした。宮簾媛命(みやずひめのみこと)がそれを受けたとき、熱田の地は、武器の保管所から、神そのものの席に変わります。
その言葉に従い、尾張氏(おわりうじ)の祖である宮簾媛命が、剣を熱田の地に鎮め、社を創建したとされます。宮簾媛命は、日本武尊の妃とも、尾張の地を治めた女性とも伝わる人で、尾張開拓の祖として崇敬されてきました。以来、尾張氏、のちの熱田神宮の神職が、剣の鎮守を代々受け継ぎます。中世以降も熱田神宮は尾張の氏神として地域の中心であり、戦国時代には織田信長もこの社を崇敬したことで知られます。格式は、三種の神器のひとつを祀ることと、皇室と武家からの崇敬の歴史に支えられています。
6月のまつりと、見えない剣
御神徳として願われるのは、勝利、武運、厄除け、家内安全です。草薙剣を御神体とするために、武家の崇敬は早くから厚くなりました。社殿は神宮造(じんぐうづくり)で建てられています。毎年6月には熱田まつりが行われ、土地の伝統行事として続きます。剣は社の奥に秘蔵されたままです。6月の熱田まつりは、見えない剣の周りに、土地の人が一年の祈りを集め直す日です。大きな鳥居をくぐった人は、草を薙いだ夜の話を、静かな境内の明るさのなかで思い出します。手を合わせる相手は、八岐大蛇の尾から尾張まで旅をした剣そのものです。
剣を尾張に預けた物語の手前には、国そのものを譲った神がいます。出雲大社で、神無月と神在月が入れ替わる話です。


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