島根県出雲市に着くと、社殿の正面に、巨大なしめ縄(しめなわ)がかかっています。出雲大社(いずもたいしゃ)の象徴として知られるその縄の奥で、祀られているのは大国主神(おおくにぬしのかみ)です。古事記と日本書紀の国譲り(くにゆずり)の舞台として語られ、出雲の地は日本神話の中心のひとつとされてきました。参拝は古くから出雲詣り(いずもまいり)と呼ばれ、全国から人が訪れます。
国を作り、国を譲った神
大国主神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子で、国作り(くにづくり)の中心に立つ神です。少名毗古那神(すくなひこなのかみ)とともに国土を整え、豊かな国を作り上げたと語られます。古事記では大物主神(おおものぬしのかみ)とも呼ばれ、別名はほかにも数多くあります。出雲の国を治める神として描かれながら、縁結びと福の神としても親しまれ、いちばん優しい神、と言われることさえあります。
国譲りの場面では、天照大神の使者として建御雷神(たけみかづちのかみ)と天児屋命(あめのこやねのみこと)が地上へ下り、統治を天つ神の側へ移す交渉が行われます。大国主神はその求めを受け入れ、自らは神の国へ隠れる道を選びました。社の伝えのなかには、自らの子である少彦名神(すくなひこなのかみ)に国の統治を任せた、と語る筋もあります。譲ることを選んだ姿が、優しさのイメージの源になってきました。天皇家の統治が地上に及び、物語は天孫降臨(てんそんこうりん)へと進みます。
優しさを語るもう一つの場面が、因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)です。傷を負った白兎に、大国主神は癒える手当てを教えます。兎は報恩の神として崇敬された、と伝えられます。力で国土を整えた神が、小さな獣の痛みに手を伸ばす。出雲でこの神が慕われる理由は、国譲りの決断と、この手当てとの両方にあります。
口伝が語る、見上げるような本殿
本殿は大社造(たいしゃづくり)で建てられています。いま目の前にある社殿より、かつてはるかに高かった、という口伝(こうでん)が残ります。社伝によれば、古くは本殿の高さが約96メートル、13階建てのビルに相当する高さだったとされます。平安時代中期には約48メートルだったとも伝えられ、いずれにせよ、現在の本殿である約24メートルの倍以上だった、とされてきました。もし約96メートルの本殿が実在したなら、当時の東大寺大仏殿よりも大きかったことになります。古代から平安にかけて、この社がどれほどの信仰を集めていたかを、数字の口伝が物語ります。現在の本殿は、1744年に再建されたものです。
神のいない月が、出雲では神のいる月になる
旧暦の10月を、日本の多くの土地では神無月(かんなづき)と呼びます。神がいない月、という意味で、全国の神社で祭事が行われない月として知られてきました。出雲地方では、同じ月を神在月(かみありづき)と呼びます。神がいる月です。全国の神々が、この時期に出雲大社へ集まると伝えられるからです。
旧暦10月10日から始まる神在祭(かみありさい)では、集まった神々が大国主神のもとで、縁結びの会議を開くとされます。人の縁は、出雲で神々が相談して決まる。その信仰が、出雲を縁結びの聖地にしてきました。旧暦10月の神在月には、全国から出雲詣りをする人が増えます。神々が縁を談じる時期に参ることで、良縁を願うのです。
神在月の出雲詣りは、良縁を願う人の列でもあります。縁結び、福の神、商売繁盛、家内安全。大国主神に向けられる願いは広いのですが、この月に限っては、神々が会議を開いている、という伝えが、参拝の気持ちを特別にします。巨大なしめ縄は、その会議の場の入口のように見えます。境内には、縁結びの神として知られる須佐之男命を祀る社や、大国主神の子である少彦名神を祀る社もあり、神話の登場人物が、敷地のなかに並んでいます。しめ縄を見上げる10月は、ほかの土地で神が不在と呼ばれる月と、ここでは神が満ちる月として重なります。
出雲で神々が集うなら、都の川のほとりでは、人が祭りを開いて神を迎えました。賀茂社と、葵祭の話です。


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