本殿の前で頭を下げ、顔を上げると、視線は屋根の端で止まります。二本の木が空の手前で交差し、棟の上には丸太が横に並んでいます。社のまわりには、もう一つの境界が低く巡っています。鳥居をくぐったあとも、線はまだ残っているのです。
あの柵を、玉垣(たまがき)と呼びます。鳥居が道の上に引く線だとすれば、玉垣は神のいます場所を平面で囲う線です。内側を神域、外側を私たちの暮らす俗界として、境をはっきりさせるための囲いです。
社殿という建物がまだなかったころ、人は神を迎える席のまわりを、青々とした木の枝で仮に囲いました。依代(よりしろ)の周囲などが、その場所です。この臨時の囲いを柴垣(しばがき)と呼び、玉垣の最も古い形だと伝えられています。祭りのたびに結んではほどく境界が、のちに常設の柵へ姿を変えました。招く相手が帰ったあとも、席の輪郭だけは残すようになったのです。
造りは、時代と格式で呼び方が分かれます。皮をつけたままの丸太で組んだものを黒木玉垣(くろきたまがき)といい、最も素朴で、始まりの頃の手触りを残しています。格子の向こうが透けて見えるものは透かし垣(すかしがき)です。規模の大きな神社では、柵の代わりに、屋根と柱を備えた通路がお社をぐるりと囲むことがあります。回廊(かいろう)です。歩く人を雨から守りながら、ここから内は神の座だと示しています。
交差した先端は、構造から印になった
屋根の両端で、バツの字のように天へ突き出る二本の木が、千木(ちぎ)です。
古代の住居や倉庫では、屋根を支えるために二本の丸太を斜めに交差させました。その先端が、屋根の上へそのまま残ったのが始まりです。当初は、建物を持たせるための構造材でした。時代が下ると、支える仕事から離れ、神社の神聖さと格調を示す装飾の印へ移っていきます。用が終わったあとも形だけが残り、意味のほうが濃くなった木です。
先端の削り方には、大きく二つあります。地面に対して垂直に、縦へ鋭く削るものを外削ぎ(そとそぎ)と呼び、主に男神をまつる社に見られます。外へ向かって尖る切り口です。伊勢神宮の外宮がこの例で、豊受大御神(とようけのおおみかみ)がまつられています。水平に、横へ平らに削るものを内削ぎ(うちそぎ)と呼び、主に女神の社に見られます。穏やかに揃えた切り口です。内宮がこの例で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)がまつられています。一般に、そう見分けられてきた、という伝えです。
棟の上に横へ並べた丸太が、鰹木(かつおぎ)です。干した鰹の身、鰹節に似ることからこの名があり、堅魚木と書くこともあります。茅葺(かやぶき)や板葺の屋根が、強風でめくれて飛ばされないよう、重しとして置いた丸太が起源です。千木と同じく、実用の重しから、格式を示す飾りへ移っていきました。
本数は、社の規模や意匠によって違います。俗に、奇数は主に男神、偶数は主に女神の社に多い、とされてきました。外削ぎか内削ぎかとあわせて屋根を見上げると、まつられる神の側を、建物が先に語っていることがあります。
四つの古い屋根
千木と鰹木がよく残っているのは、古くから伝わる社殿の系統です。
神明造(しんめいづくり)は、日本で最も古い建築様式の一つです。直線的で素朴で、平入り(ひらいり)、つまり屋根の長い面が入口になります。三重県の伊勢神宮が代表です。
大社造(たいしゃづくり)は、古代の住居に起源を持ち、平面は正方形に近い造りです。妻入り(つまいり)、屋根の三角の面が入口になります。島根県の出雲大社が代表です。
春日造(かすがづくり)も妻入りで、入口の上に向拝(こうはい)と呼ばれる庇が、なだらかな曲線を描いて前へせり出します。奈良県の春日大社が代表です。
住吉造(すみよしづくり)は、直線的で細長い長方形です。神明造と同じく直線の美しさを持ちながら、入口は妻側、三角の面に開きます。大阪府の住吉大社が代表です。
次に本殿の前に立つとき、柵が皮を残した丸太か、透ける格子か、屋根のある回廊かを見てみてください。先端が縦に切られているか、棟の丸太が奇数か偶数かも、同じ見上げのなかにあります。境界と屋根が、神域の輪郭を黙って示しています。
その屋根が示す神の側とは別に、私たちがうちの神さまと呼ぶ相手には、血と土地と、招かれた守りとが重なっています。氏神と産土と鎮守の違いが、次の話です。


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