引っ越した町で、近所の人に氏神さまはあちらです、と教えられることがあります。血のつながった一族の神なのか、自分が生まれた土地の神なのか、言葉のほうはもう区別されていません。呼ばれ方の内側には、三つの由来が残っています。
神社にまつられる神を、ご祭神(ごさいじん)と呼びます。その名も、祀り方も、時代とともに移ってきました。
建物としての神社が生まれる前、人は山や、巨大な木や、岩に依りつく神へ祈っていました。嵐、干ばつ、恵みの雨。自然そのものと、その力の強さに、神聖な気配を見たのです。この頃の神の多くは、土地の名を冠して「〇〇の神」と呼ばれました。神話の固有名が先に立つのは、もっとあとのことです。
名は、土地のほうを先に名乗った
平安時代、10世紀初頭に編まれた『延喜式神名帳(えんぎしきしんめいちょう)』は、全国の官社、格式ある神社の一覧です。そこを開くと、古事記や日本書紀に登場する有名な神、天照大御神(あまてらすおおみかみ)や素戔嗚尊(すさのおのみこと)の名は、ほとんど見当たりません。記されているのは、地名に「の神」を添えた、その土地に根を張った名が大半です。
平安時代の中期を過ぎると、記紀の神の名が文学や文献に現れ始めます。『源氏物語』には、海と航海の神として住吉(すみよし)の神が出てきます。底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)です。物語の人物が、すでにその名で海の無事を思っています。神名が、宮廷の文のなかへ入ったしるしです。
時代がさらに進むと、ある土地で強く信仰された神の分霊(わけみたま)を、別の社へ迎えることが盛んになります。これを勧請(かんじょう)と呼びます。全国へ大きく広がったのが、八幡(はちまん)さまと、お稲荷(いなり)さまです。八幡さまは源氏の氏神として、武士を中心に広まりました。お稲荷さまは、五穀豊穣と商売繁盛の神として、庶民のあいだへ広まりました。人は、強い神の分霊を、自分の町の守りとして迎え直したのです。
日本の神道は、外から来た教えも受け取りました。仏教、道教(どうきょう)、陰陽道の影響を受けたご祭神もまつられるようになります。神仏習合と呼ばれる、重なりの時代です。
血と、生地と、招かれた守り
氏神(うじがみ)は、本来、同じ血縁の一族、氏族の祖先神であり、守護神です。つながりは血にあります。
産土神(うぶすながみ)は、自分が生まれた土地の守護神です。生まれてから死ぬまで、一生その人を守るとされてきました。つながりは、出生の地にあります。
鎮守神(ちんじゅがみ)は、城や、寺や、国家や、特定の地域を守るために、他所から迎えてまつった神です。土地の境界を守るために、外から招かれた守りです。
人々が土地を動かずに暮らしていたあいだは、三つの線は分かれていました。移動が普通になると、境界は次第にぼやけます。いまでは、自分が暮らしている地域、学区や町内を守る最も身近な神社と神を、総称して氏神さまと呼ぶのが一般的です。呼ぶ言葉は一つに寄り、由来のほうは三つのまま残っています。
氏子であることと、崇敬すること
氏神さまが守る範囲を、氏子区域と呼びます。その中に住む人を氏子(うじこ)といいます。自覚があるかないかにかかわらず、その区域に住めば、その神社の氏子です。祭りやお宮参りを通じて、地域が神社を支えます。産土神の守護を受ける、その土地で生まれた人は、産子(うぶこ)と呼ばれます。
住む場所とは別に、個人の信仰や縁で仰ぐ神社を崇敬神社(すうけいじんじゃ)と呼びます。一生懸命に学んでいる人が、太宰府天満宮を信仰する、といった関わりです。その神社を熱心に支え、訪ねる人を崇敬者(すうけいしゃ)といいます。
氏神さまと崇敬神社を、ともに信仰して差し支えありません。地元の氏神を大切にしながら、伊勢神宮や、自分の好きな神社にも参り、神棚にお札を並べる。その並び方は、好ましい信仰の姿だとされてきました。
みちひらきの神、開運や方位除け、交通安全で知られる猿田彦(さるたひこ)神社が、その分かれをよく示します。三重県伊勢市などに鎮まるこの社は、氏神、産土、鎮守のどれにも収まりません。特定の町内や学区を氏子地域として持たず、神の特別な御神徳を慕って全国から訪れる崇敬者に支えられています。氏子を持たない神社は、崇敬神社として位置づけられます。人と神社の関わりは、住所だけでは決まりません。
次に地元の神社へ向かうとき、自分が氏子として立っているのか、崇敬者として訪ねているのかを、一度だけ分けてみてください。お宮参りの写真の背景も、旅行先で手を合わせた社も、どちらも祈りの席です。
本殿の横や裏には、もう一柱の名を掲げた小さな社が寄り添っています。摂社と末社、そして伊勢の神宮の別宮が、次の話です。


コメント