本殿で一礼したあと、脇の木陰に、もう一つの小さな屋根が見えます。祠(ほこら)ほどのものもあれば、名を刻んだ社もあります。本殿だけで手を合わせ、そのまま帰ってしまうと、その名は読み飛ばされます。並んでいるのには、理由があります。
これらの社は、本社(ほんしゃ)に属するお社です。立つ場所で、まず二つに分かれます。神社の敷地のなかにあるものを境内社(けいだいしゃ)と呼びます。敷地の外、離れた土地に立つものを境外摂社(けいがいせっしゃ)、あるいは飛地境内社(とびちけいだいしゃ)と呼びます。どちらも、本社にまつられる神と、深いところで結ばれています。
その結びの濃さと、歴史のなかでの位置によって、境内社や境外の社は、さらに摂社(せっしゃ)と末社(まっしゃ)に分かれます。
血と魂と、土地の先住
いま、摂社と末社を分ける厳密な法令はありません。明治時代から戦前までの社格制度では、区別がはっきり定められ、末社よりも摂社のほうが上位とされていました。いまの呼び分けは、そのときの基準を土台にしています。
摂社にまつられるのは、ご本殿の主祭神(しゅさいじん)と、きわめて深い関係にある神です。后(きさき)や配偶者神、つまり主祭神の妻にあたる神。御子神(みこがみ)、息子や娘にあたる神。荒魂(あらみたま)、主祭神が持つ活動的で荒々しい側面、その力そのものを神として立てたもの。そして地主神(じぬしがみ)、その神社が建つ前からその土地に鎮座し、土地を守っていた神です。
神社が建つより前に、すでにそこにいた神を、あとから摂社として丁寧にまつった例も多くあります。土地を譲ってもらった先住の神への敬意です。新しい社を置くとき、日本の信仰は、先に座っていた相手を消すより、隣に席を残すほうを選んできました。
末社は、摂社ほどの血縁や、同じ魂の関係には及ばないものの、ご本殿の神とゆかりのある神、あるいはそれ以外のさまざまな神をまつる社です。全国から勧請されたお稲荷さま、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)や、八幡さま、厄除けの神など、この神にも守っていただきたいと、地域の人々が迎え入れた社が多く含まれます。関係の深さは、摂社より一段ゆるやかです。ゆかりがあるか、土地の願いが招いたか。末社の扉の内側には、そのどちらかが座っています。
正宮の次に置かれた宮
摂社と末社のさらに上に、格の違う社を置くのが、三重県の伊勢の神宮です。別宮(べつくう)と呼ばれます。文字どおり、本宮、ご正宮に次ぐ格別の社であり、ご正宮に準ずる、きわめて高い地位を持っています。
荒祭宮(あらまつりのみや)にまつられるのは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の荒御魂(あらみたま)です。内宮、皇大神宮の境内にあり、数ある別宮のなかで最も格式が高く、第一位とされます。穏やかな光の神が、荒ぶる側面を隣の宮に分けて持っています。摂社の荒魂と同じ発想が、神宮では別宮の最上席になっています。
月読宮(つきよみのみや)にまつられるのは、天照大御神の弟神、月読尊(つきよみのみこと)です。夜の国と、月の満ち欠けを司る神です。太陽の宮のそばに、夜を司る弟が別の宮を持っています。一日を二人で分けているような配置です。
倭姫宮(やまとひめのみや)にまつられるのは、倭姫命(やまとひめのみこと)です。天照大御神をまつるにふさわしい地を求めて旅をし、伊勢の地に神宮を創建したとされる皇女です。創建は大正時代で、別宮のなかでは最も新しい社です。旅をした人が、たどり着いた土地で、後から宮を与えられました。神を連れて歩いた皇女が、自分の席を得るまでに、それだけの時間がかかっています。
次の参拝では、本殿の脇や裏手の社で、足を止めて看板を読んでみてください。伊勢へ向かうなら、正宮のあとで荒祭宮、月読宮、倭姫宮の順に名を追うと、別宮という言葉が建物の並びとして見えてきます。小さな社ほど、その土地が誰を隣に残してきたかが、静かに書いてあります。
社の名のうしろにつく一語にも、同じような序列が隠れています。神宮、大社、宮、神社という呼び名が、次の話です。


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