賽銭を納め、鈴の音が参道に残ったあと、拝殿の前で立ちます。何度頭を下げるのか、なぜ右手だけが少し下がるのか。多くの神社でいま勧められている標準が、二拝二拍手一拝(にはいにはくしゅいっぱい)、二礼二拍手一礼とも呼ばれる作法です。
背すじを伸ばし、神前に向かってまっすぐ立ちます。腰を90度に折り、背中を平らにして頭を下げる。この深い礼を、二度繰り返します。二拝です。
次に、胸の高さで両手を合わせます。右手を、少し手前、下へずらします。目安は、左手の第一関節あたりまでです。その状態で肩幅ほどに開き、快い音を二度響かせます。ずらしていた右手を戻し、指先をぴったり合わせ、感謝を伝える祈りを込めます。終えたら、静かに両手を下ろします。二拍手です。
もう一度、腰を90度に折り、深い礼を一度します。一拝です。
この前後に、腰を30度ほど軽く折る会釈、一揖(いちゆう)を入れると、一連の流れが引き締まり、丁寧な気持ちが神へ届きやすくなります。入る前の小さな礼と、終えたあとの小さな礼です。
一歩引いた右手が、揃う瞬間
右手をずらすことには、神道と東洋の考えが重ねられています。左手は陽(ひ)、心、精神、清浄、主を表します。右手は陰(み)、体、物理、不浄、客を表します。右手を一歩引くのは、まだ神と一つになっていない、一歩下がった謙虚な自分を示すためです。その形のまま音を響かせたあと、右手を戻して指先を合わせる。その瞬間が、神と自分の魂がぴったりと一つになった状態、神人合一(しんじんごういつ)を表します。打つ音と、揃える静止が、一つの作法のなかで役割を分けています。
手を打つ行いは、古くは拍手(はくしゅ、ひょうしゅ)、あるいは開手(かいしゅ)と呼ばれました。世界に広くある、賞賛のための拍手とは異なり、日本に古くからある拝礼の作法です。
約1,800年前の日本の様子を記した『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』には、古代の人々が身分の高い貴人に会うとき、地にひれ伏し、拍手によって敬意を表した、とあります。『日本書紀』にも、天皇が即位されるとき、群臣が一斉に拍手をして祝った記録が残っています。古代の日本では、最大級の敬意を示す日常の挨拶が、手を打つことでした。平安時代になると、人同士の挨拶としての拍手は行われなくなり、神への拝礼のときだけに残されます。人間のあいだでは廃れ、神の前だけで生き残った動作です。
柏の葉と、書き写しの誤り
拍手を、かしわでと呼ぶ由来には、いくつかの説があります。
有力だとされるのは、食事と感謝をつなぐ説です。古代の日本には、まだ皿がありませんでした。食べ物は、柏(かしわ)の葉の上に盛られました。そこから、宮中で食事を準備し、管理する役の人や、お膳そのものを、かしわ手、掌膳(かしわで)と呼ぶようになります。食事の前に、いただきます、と感謝を込めて手を合わせ、手を打つ仕草と、食を司るかしわ手という言葉が結びつき、いつしか神前で手を打つことを、かしわ手、拍手と呼ぶようになった、と伝えられています。
もう一つは、誤記の説です。文献を書き写す過程で文字が誤って写され、その形のまま定着した、という現実的な見方もあります。葉に盛った食事の記憶か、写し間違いの定着か。呼び名の側にも、説が二つ残っています。
船を傾けて打った、逆の拍手
手を打つことが、言葉以上の誓いや、魔除けの力を持っていたことを示すのが、古事記の国譲りです。天上の天津神が、地上の国、葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めていた大国主神(おおくにぬしのかみ)に、国を譲れ、と迫ります。大国主神は、自分一人では決められない、息子の事代主神(ことしろぬしのかみ)に聞いてほしい、と答えました。事代主神は、島根の美保ヶ関(みほがせき)の海辺で釣りをしていました。天からの使者がそこへ赴き、承諾を求めます。
事代主神は、この国は天の神々へ譲ろう、と、潔く応じました。言葉にした直後、奇妙な行動を取ります。乗っていた船を踏み傾け、手を天の逆手(あめのむかえで、あめのさかて)に打ち、船を青柴垣(あおふしがき)という神聖な垣に変えて、そのなかにひっそりと隠れました。
天の逆手は、手の甲と甲を合わせる、あるいは通常とは逆の形で打つ、呪術的な拍手です。これ以上は一言も喋らない、決して嘘はつかない、という神との契約、誓約である、あるいは、身を隠して神域にこもるための強い魔除け、封印である、と解釈されています。
事代主神は、のちに七福神のえびすさまとなり、鯛を抱えてほほえむ、商売の神として親しまれます。古事記のなかでは、言葉を神に誓い、拍手によって世界を封印する、言葉の神、託宣の神です。神前で打つ音にも、私の心に偽りはない、と魂を込めて誓う響きが残っています。
いま広く知られる二拝二拍手一拝は、明治以降、政府の通達などによって全国で統一され、一般化された、比較的新しい歴史を持っています。古代からの数を、そのまま守っている神社もあります。
出雲大社は、二拝四拍手一拝です。祭りのときには、さらに多く打つこともあります。四度打つ理由には諸説あり、東西南北の四方を拝み守るため、あるいは神の四つの魂、四魂(しこん)へ敬意を表すため、などといわれています。
伊勢の神宮では、八度拝八開手(はちどはいはちかいしゅ)が行われます。主に神職が、大きな祭りのときに行う、最も格式の高い作法です。深く座って頭を下げる平伏を八度繰り返し、手を八度、静かに打ち合わせます。神宮での拍手は、音を立てずに打つ短手(しのびて)が基本です。八という数は、神道において無限、きわめて多い、という最大級の敬意を表します。
次の神社では、90度を二度、右手を第一関節ほど引いて二度打ち、指を揃えてから、もう一度深く頭を下げてみてください。出雲大社の前では、拍手は四度に変わります。伊勢の祭りの場では、神職の手は音を立てず、八度を数えます。
頭を上げたとき、拝殿の奥に光が一つ見えます。鏡と、御幣が、次の話です。


コメント