同じ町でも、太鼓の鳴る日は神社ごとにずれています。一つの社は桜のころ、隣の社は稲が刈り終わったあとに、一年でいちばん人が集まる日を置いている。小さい社では、氏子が静かに並ぶだけです。大きい社では、神輿が町へ繰り出します。どちらも、その社にとっての例祭です。日付を全国で一つに揃えないところに、この祭りの性格があります。
その社だけの、一年に一度
例祭(れいさい)は、通常、年に一度行われるお祭りです。春と秋の二度になる場合もあります。ご祭神や神社にとって特別に由緒のある日、ゆかりの深い日にあてられます。例祭の日付は、社ごとに違います。規模も幅があります。境内だけで終わる小さなものから、神輿渡御を伴う大きな行列まで。その社の歴史が、当日の広さを決めます。
分類のうえでも、例祭は大祭・中祭・小祭のいずれかに分けられ、その神社の格と由緒のなかで執り行われます。それでも、例祭・祈年祭・新嘗祭の三つは、毎年行われる三大祭として語られ、いずれも大祭に置かれてきました。社ごとの例祭が土地の顔を持ち、祈年祭と新嘗祭が全国で日付を共有する。一年の祭りは、その組み合わせで骨格を作ります。
2月の祈りと、11月の返礼
祈年祭(きねんさい)は、古くから春祭りとも呼ばれてきました。日は2月17日です。まだ息の白い朝に、お米や穀物が豊かに実ることを祈ります。田に水の入らない季節のうちに、一年の収穫を先に願う。穂のない境内で、言葉だけが先に夏へ届く。宮中をはじめ、全国の神社で行われ、その伝統はいまも続いています。奈良時代の『養老令』に、すでにこの祭りの名が見えます。長いあいだ、春の祈りは法令の側にも書き留められてきたのです。都が祭りの名を書き留めたときも、宮中と諸国の社は、同じ春を向かっていました。
祈る中身は、稲からさらに広がっています。現代の祈年祭には、産業が栄えることへの願いも含まれます。田の実りを願った心が、働くこと全体の実りへ広がった、と見ることができます。三大祭の一つであることは、例祭・新嘗祭と並んで変わりません。
秋の側に座るのが、新嘗祭(にいなめさい)です。しんじょうさい、とも呼ばれます。新嘗とは、新しい穀物、すなわちその年の新しいお米を、神に供えることです。収穫した新穀を神前に置き、感謝をささげる。秋祭りとも称される収穫祭で、新年祭とともに、古くから行われてきました。皇室で行われる新嘗祭も、安泰と平和、繁栄と、国民の安寧を祈る祭です。
日付は、神社と宮中でわずかにずれます。全国の神社では11月23日。宮中では、11月23日から24日にかけて行われます。社の多くは、その一日で新しい米を神前に届け、感謝を言い切ります。宮中は、同じ新穀への礼を夜へまたがせ、24日まで続けます。返すものの意味は同じでも、時間の厚みが違います。一夜を置くことで、感謝は昼の行事から、夜を含む儀礼へ広がります。春に祈り、秋に返す。この往復が、三大祭の年輪です。
例祭がその社だけの由緒の日を守り、祈年祭と新嘗祭が国の暦を共有する。三つは毎年行われ、いずれも大祭です。そのうえで、個々の社の例祭は大祭・中祭・小祭のいずれかの規模で執り行われます。由緒の日を社が自分で選ぶ例祭と、2月17日、11月23日で全国が息を合わせる二つの祭り。一年の骨格は、その両方で出来ています。
穀物を持って、地上へ降りた孫
新しい米を神に返す気持ちの、古い筋書きが古事記にあります。天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、天から地上へ降り、そこで農耕を始めました。天孫降臨と呼ばれる出来事です。収穫したお米を神に捧げ、感謝を伝える。その精神が、のちに新嘗祭として全国の神社へ広がっていった、と結びつけて語られます。
祈年祭で豊作を願い、新嘗祭で新穀に礼を言う。この一連は、古事記が描く農の神話と、同じ方向を向いています。種を預かり、実りを返し、また次の春を願う。人の一年と、神話の農とは、そこで重なります。
三大祭のほかにも、大祭は社の一生の節目に現れます。決まった年ごとに迎える式年祭、神を初めて座らせる鎮座祭、社殿を改めて神を移す遷座祭、神霊を合わせる合祀祭、分霊を分ける分祀祭。毎年の祈りが一段落したあと、次に見えるのは、その臨時の大祭です。


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