長野県の諏訪湖のほとりに立つと、水面を挟んで社が分かれています。諏訪大社(すわたいしゃ)は、この湖を中心に四つの社を置く古い神社です。上社本宮(かみしゃほんみや)、上社前宮(かみしゃまえみや)、下社秋宮(しもしゃあきみや)、下社春宮(しもしゃはるみや)。この四社が一体となり、全国に約1万社ある諏訪神社の総本社として崇敬されています。
上社にも下社にも、ご本殿はありません。上社では御柱を立てる場所に社殿があり、下社でも春宮と秋宮が季節の名を分け持ちます。神の席は、その柱の側に開かれています。柱は神の依り代(よりしろ)です。四隅の木が、神域の輪郭を6年ごとに引き直します。古い神体の考えが、湖の周囲に残っています。
出雲で国を拒んだ神
祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)です。出雲から諏訪へやってきた神だと伝えられます。風の神として信仰され、風を司る神として崇められてきました。
背景にあるのは、古事記の国譲りです。天の使者が大国主神(おおくにぬしのかみ)のもとへ訪れ、大国主神は国を譲ることを承諾します。その子の建御名方神は拒みました。力比べの相手を天忍日命(あめのおしひのみこと)と伝える語りもあります。古事記が手を取らせたのは、建御雷神(たけみかづちのかみ)です。建御名方神は力に及ばず、追い詰められて信濃の国、いまの長野の諏訪の湖まで逃れ、そこで鎮まった、と記されます。もうこの地から出ない、と誓った神です。敗れた場所が、そのまま祀る場所になりました。
中世には、多くの武将がこの社を信仰します。武田信玄(たけだしんげん)も篤い信者でした。戦国を生きる者にとって、風を司る神は、軍事の神でもあります。旗の向きも、矢の飛び方も、風の機嫌に左右されます。こうして建御名方神は、日本第一大軍神(にほんだいいちぐんしん)とも呼ばれるようになりました。農業では風雨を司り、合戦では武運を司ります。拒んで逃げ、誓って留まった神が、動かない守りとして頼られていきます。湖面を渡る風が強い日に上社へ立つと、軍神という呼び名が、肌に当たる力の名に聞こえます。
6年に一度、山の木が柱になる
諏訪大社といえば、御柱祭(おんばしらさい)です。6年に一度の大祭で、山から巨大な木を切り出し、社まで運び、四隅に立てます。柱を立て替えることで神域を新たにし、社の力を更新する、という意味を持つ祭です。上社と下社は、別々に行います。上社で四本、下社でも四本です。同じ年の大祭が、湖のこちらとあちらで、それぞれの柱を更新します。山で伐られた木が、人の肩と綱とで社の四隅まで届くまでの距離が、この祭の本体です。
木落とし(きおとし)では、切り出した巨木を急な斜面から滑らせます。曳き込み(ひきこみ)では、多数の氏子が柱を引きずって境内へ運びます。見る者の足がすくむほどの行事であり、同時に、地域の結束を形にした行事です。御柱祭の日は、天気が良いとより盛大に行われる、という言い伝えも残っています。風の神の祭で、空模様が語られるのは、自然なことです。
柱の根元に、いまも人が集まる
祭のない年に上社へ行っても、前回の柱が四隅に残っています。樹皮は剥け、木目が雨に晒されています。本殿の扉を探す目は、ここで一度迷います。神の席は、柱が囲んだ空のほうに開いています。下社では、春宮と秋宮のあいだを、季節が神を運ぶように社の名が分かれています。湖を一周すれば、四つの社は一つの信仰の四辺です。前宮の古い祭場から本宮の柱を見、秋宮から春宮へ季節を想像する。その一周が、総本社を身体で覚える歩き方です。
6年に一度の更新は、神域を手入れする仕事です。柱が新しければ、席も新しい。氏子が木に綱をかけ、斜面で木を落とし、境内へ引き込むまでの共同が、諏訪の信仰を、見る祭から担う祭にしています。
全国の諏訪神社は、この湖を総本社として分祀されてきました。風と軍の神は、信濃の外でも、田と城の両方で手を合わせられてきました。次に都へ入ると、同じように恐れと祀りが隣り合う神が待っています。祇園さんと天王さんです。


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