京都府京都市東山区、四条通の突き当たりに八坂神社(やさかじんじゃ)があります。古い石段を上ると、楼門の朱が、町の看板より濃く見えます。旧称は祇園社(ぎおんしゃ)です。一般には祇園さんと呼ばれてきました。日本三大祭りの一つ、祇園祭(ぎおんまつり)の氏神であり、祭りは毎年7月、京都の夏を占めます。
手を合わせる相手の名は、時代によって三通りあります。いまの主祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。古事記では須佐之男命とも書きます。天照大御神の弟として、高天原を追われたあと出雲へ下り、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して稲田姫を救った神です。その尾から、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を取り出しました。荒ぶる神が、荒ぶるものを討ちます。後の人は、この力に、疫を退ける働きを見ていきます。高天原を騒がせた神が、地上では災いそのものを討つ側に立つ。八坂の祭神にこの物語が選ばれた理由は、そこにあります。
一つの神に、三つの名
祇園さん、天王さんという呼び方をたどると、神仏習合(しんぶつしゅうごう)の時代に入ります。その時代、素戔嗚尊はインドから来た神と同一視されるようになりました。重ねられた名は、牛頭天王(ごずてんのう)と、武塔天神(むとうてんじん)です。
牛頭天王は、インド起源の仏教の守護神が日本へ伝わったものとされます。釈迦が説法した寺院として、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)と竹林精舎の名が日本に入っています。牛頭天王は、そのうち祇園精舎を守る神として語られてきました。神仏習合の考えのなかで、その天王が素戔嗚尊と一つの神に見立てられていきます。武塔天神も、同じ神の別の呼び名です。日本の神と、仏教の守護神とが、一つの祭壇で結ばれたのです。
だから、祇園さんと天王さんは、素戔嗚尊、牛頭天王、武塔天神という同一神信仰の名残です。社の旧称が祇園社であったことと、天王という呼びかけとが、同じ歴史を指しています。
疫を招き、疫を送る
祇園祭は、疫病を鎮めるために始まった、と言われています。平安時代、都に疫が流行したとき、神仏に祈って災厄を退けようとしました。その願いから祭りが始まった、と伝えられます。氏神の力で穢れを祓い、町の安寧を願う祭です。名を呼んで席を用意し、祭りが終われば送る。恐ろしい相手ほど、招いてなぐさめる祀りが選ばれました。御霊を鎮める考えと、隣り合っています。牛頭天王の名で呼んでも、素戔嗚尊の名で呼んでも、夏の町が求めたのは同じ働きです。
除疫のならわしとして、茅の輪くぐり(ちのわくぐり)が残っています。巨大な茅(ち)の輪を作り、その輪をくぐって穢れを祓います。紙垂(しで)、ジグザグに切った紙を縄(なわ)に下げ、人はその下をくぐります。八坂神社では、この茅の輪の伝統が今も受け継がれ、6月末の夏越祭(なごしさい)などで行われます。輪をくぐれば祓える、という期待が、今も残っています。祭りの起源は、その期待への返事です。茅の匂いが境内に立つころ、7月の山鉾はまだ倉庫にあります。除疫の祈りは、華やかな巡行より一足先に始まります。
7月の、山と神輿
祇園祭は、7月1日から31日まで続きます。前半に山鉾(やまほこ)の巡行があり、後半に神輿(みこし)の渡御があります。山鉾は、各町が曳き廻す巨大な山車です。起源が疫病退散にあるため、巡行も渡御も、除疫(じょえき)と災厄退散の意味を持っています。町の真ん中を神が通ることで、夏の穢れに出口ができます。
明治の神仏分離(しんぶつぶんり)以降、牛頭天王、武塔天神としての祀りは整理され、いまは素戔嗚尊が正式な主祭神です。祇園さん、天王さんという呼びかけは残りました。楼門の前でその名を使うとき、人は神仏が一つだった時代の呼び方を、口の中に残しています。
7月のあいだ、東山の社は町の奥の神であり、同時に町の真ん中を通る神でもあります。山を北へ移すと、雪を戴いたまま死者の魂を鎮める信仰が待っています。白山信仰です。


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