石川県白山市の白山比咩神社(はくさんひめじんじゃ)に着くと、社殿の奥に、夏でも白く残る山が見えます。白山(はくさん)は、富士山、立山と並ぶ日本三霊山(にほんさんれいざん)の一つです。年間を通じて雪をいただき、遠くからも目印になりました。越前(えちぜん)と加賀(かが)の境に位置し、石川県、岐阜県、福井県にまたがります。越の白山(こしのはくさん)と呼ばれ、日本海側で働く人々にとって、航海と漁労の目標でもありました。
白山比咩神社は、全国の白山神社の総本社です。信仰は平安時代以前から続いています。古くは神々が集まる山として崇められ、のちにこの社を中心に、全国へ勧請されていきました。枝にあたる社として、福井県の平泉寺白山神社、そして長滝白山神社があります。
坂の上で、一言を挟んだ神
主祭神は菊理媛神(くくりひめのかみ)です。祈り結ぶ神(いのりむすぶかみ)として崇敬されます。名のくくるは、結ぶ、つなぐ、という意味に重ねられ、人の祈りを結びとめる神として信仰されてきました。白山は同時に、漁労と航海の神でもあります。日本海の漁師と船乗りは、雪の頂を目印にし、その力に祈ってきました。
亡くなった人の魂が鎮まる山だ、とも信じられていました。魂の休まる場所であるがゆえに、みだりに入ってはいけない山とされます。平安時代以前から神々の集う山であり、のちには山岳修験の道場にもなりました。入ってはいけない、と言われるからこそ、修行の場としての値打ちも高まったのです。
菊理媛神の名は、古事記の本文には現れません。黄泉の別れそのものは、古事記が詳しく書きます。伊弉冉尊(いざなみのみこと)は黄泉で伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を迎え、伊弉諾尊はその穢れた姿を見て逃げます。黄泉比良坂(よもつひらさか)の入口に大きな岩を置き、二神は言葉を交わしました。伊弉冉尊は、あなたの国の人を一日に千人殺そう、と言います。伊弉諾尊は、こちらが一日に千人生むなら、千人殺しても追いつくまい、と応じました。死と生の循環が、この応酬で説明されます。
日本書紀の一書は、この泉平坂の場面で、菊理媛神も申し上げることがあり、伊弉諾尊はそれを善しとした、とだけ記します。何を言ったのかは、書かれていません。白山の信仰は、その空白に仲裁を読み、二神のあいだに立って和解を促した神として菊理媛神を語ります。争いの場を白山に置く伝えも、そこから育ちました。祈りを結ぶ、という神徳は、生者と死者、人と神のあいだを結ぶ力として受け取られていきます。
五つの川と、入らないという恐れ
白山は、多くの大河の源流でもあります。九頭竜川(くずりゅうがわ)、手取川(てどりがわ)、庄川(しょうがわ)、長良川(ながらがわ)、飛騨川(ひだがわ)。この五つの流れとなって、雪解けの水は北陸の田と町を養います。霊峰は、眺める対象であると同時に、飲み水と航路の親です。日本海で働く人にとって、沖から見える雪は、帰港の印でもありました。霧の朝に頂だけが白いとき、船は自分の位置を、その白さで測ります。祈りの山が、同時に海図の一点でした。
白山比咩神社の前で手を合わせる人の背後には、平泉寺白山神社や長滝白山神社へと続いてきた勧請の列があります。総本社は一つでも、越の白山を仰ぐ角度は、福井からも、川下の町からも、それぞれに違います。
平安時代以降、修験者たちは白山に登り、厳しい行のなかで神の力を得ようとしました。みだりに入ってはいけない山であることが、特別な許可としての登山を作っていきます。信仰は越前と加賀に留まらず、白山比咩神社を総本社として全国の白山神社へ広がりました。北陸では、今も暮らしの底にこの山があります。
社殿から山を見上げるとき、雪の線は、入ってよい場所と、魂に残しておく場所との境に見えます。結びの神は、その境で一言を挟む神でした。次に麓へ降りて仰ぐ山は、比叡です。日吉さんと、山王さんと呼ばれる神が、そこに坐っています。


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