滋賀県大津市、比叡山(ひえいざん)の麓に日吉大社(ひよしたいしゃ)は鎮座します。鳥居の前まで来ると、笠木の上に三角形が載っています。山の形をかたどったものだとされ、比叡との結びつきを、門の輪郭で示しています。山と一体の信仰を持つ社です。
古くから大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀り、全国の日吉神社、日枝神社(ひえじんじゃ)の総本社です。山王神社(さんのうじんじゃ)の総本社でもあります。日吉さんと呼び、山王さんとも呼びます。二つの名は、同じ社の、時代の違う顔です。
山に杭を打つ神、山の幸を食む神
名の咋(くい)は、食うという語に重ねられ、山の幸を引き受ける力強さとして聞かれてきました。古事記は、この神を近江の日枝山と、葛野の松尾に鎮まる山の主として記します。京都の松尾大社(まつおたいしゃ)でも祀られ、松尾は酒造の神としても知られます。比叡と松尾の両方に坐ることで、大山咋神の神徳は、山と、酒と、水とに広がって見えます。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉から帰り、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(あわぎはら)で禊をしたとき、身につけた物から多くの神が生まれました。左の神冠から大山咋神が生まれた、と語る人もいます。古事記がその場面で冠から生んだ神と、大山咋神とは、別の名です。大山咋神は、日枝山と松尾に鎮まる神として、別の段に現れます。社の前で仰ぐべきは、冠の逸話より、山そのものを住まいにしたという古事記の一文です。
寺を守り、城も守った
日吉大社は、延暦寺(えんりゃくじ)の鎮守神(ちんじゅしん)として信仰されてきました。延暦寺は天台宗(てんだいしゅう)の総本山です。比叡に建つ寺を守る神として、日吉は延暦寺と切り離せません。天台宗の守護神としても崇敬され、山の宗教と日吉信仰は、長いあいだ一つの文化として育ちました。
後世には、山王権現(さんのうごんげん)として信仰されます。権現とは、仏や菩薩が日本の神の姿で現れた、とする神仏習合の考えです。その時代、日吉の神は多くの神が合体した存在とされ、山の神、水の神、仏教の守護神が、一つの権現に重なりました。信仰は大津の山王権現から全国へ広がり、天台の寺の鎮守として、各地に山王神社が建っていきます。
政治の側も、この神を必要としました。徳川家康(とくがわいえやす)は江戸城を築くとき、日吉大社を鎮守神として崇敬し、江戸城を鎮護する神として信仰が広まります。延暦寺との結びつきに加え、徳川の崇敬が、日吉信仰を全国へ押しました。山の守りが、城の守りに読み替えられたのです。
七つの社と、4月の馬
日吉大社は、山王七社(さんのうしちしゃ)と呼ばれる社の集まりでもあります。東本宮、西本宮、大宮、四宮、そして末社が、比叡の麓で一つの信仰を形づくります。どの社も、山を背にしています。三角形の鳥居は、その山を門の上に縮小したものです。
4月には山王祭(さんのうさい)が行われます。延暦寺との関係を思わせる祭で、山王権現の神徳に礼を言い、地域の安寧を祈ります。神馬(しんめ)、神に奉納する馬の伝統も、古い祭祀として残っています。比叡山、延暦寺、日吉大社。三つの名が、一つの麓に揃っています。東本宮から西本宮へ歩き、大宮と四宮、末社の前で足を止めると、山王七社という言葉が、坂の連続として分かります。三角形の鳥居は、その坂の入り口ごとに、同じ山を小さく掲げています。
松尾大社で酒を醸す人々が同じ大山咋神に頭を下げるとき、比叡の麓の神は、寺の鎮守であると同時に、山の幸を食む神のままです。江戸城を鎮護した崇敬も、この山の神を、政治の中心へ運んだ読み替えでした。徳川家康が見た守りと、4月に神馬が立つ祭とは、同じ神の別の使われ方です。
明治の神仏分離のあと、正式な祭神は大山咋神です。山王さまという呼びかけは、今も広く使われます。鳥居の三角形を見上げるとき、人は仏の名で呼ばれた山の神を、まだその形で見ています。
東へ下ると、神宮の名を分け持つ二社が待っています。香取さまと、鹿島さまです。


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