茨城県鹿嶋市の鹿島神宮(かしまじんぐう)に着くと、奥の社殿より、地面に半ば埋まった石が先に目を引くことがあります。要石(かなめいし)です。日本の地の要を押さえる石として、地震を鎮める力を持つと信じられてきました。対になるもう一社が、千葉県香取市の香取神宮(かとりじんぐう)です。海と陸、漁と武。関東のこの二社は、セットで語られてきました。
古くは大神宮(だいじんぐう)と呼ばれ、平安時代以降、神宮(じんぐう)と称されるようになります。伊勢神宮(いせじんぐう)以外で、古くから神宮と呼ばれてきたのは、香取神宮と鹿島神宮の二社です。呼称の特別さは、格式と、古代からの役割を背負っています。香取は、香取大神宮とも呼ばれ、朝廷から厚い崇敬を受けました。海の神と武の神が、関東の東で呼び合うように鎮座しています。
海を守る神と、雷を持つ神
香取神宮のご祭神は、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)です。漁業と海運の神として信仰され、漁師と船乗りの海上安全を守る神とされてきました。関東の海辺に鎮座することが、その神徳と重なります。
鹿島神宮のご祭神は、建御雷神(たけみかづちのかみ)です。武運の神として信仰され、雷の力を持つ武神として、武士たちの崇敬を集めてきました。関東の武神信仰の中心です。経津主大神が海の領域を担い、建御雷神が武の領域を担います。役割が二つに分かれていることが、社が二つある理由として語られます。漁に出る者は香取に航海の平穏を願い、弓を取る者は鹿島に武運を願いました。同じ関東でも、祈る危険の種類が違います。
降りる前に、国を静める
日本書紀の天孫降臨(てんそんこうりん)では、この二神が重要な役を果たします。天孫、天皇の祖先が地上に降りる前に、国土を平定する必要がありました。その使命を担ったのが、経津主大神と建御雷神です。二神は国々を鎮め、皇孫降臨(すみらみこうりん)の前に土地を整えます。荒れ狂う力を静め、天孫が治めるに足る国にしていきます。降りる者が先にいて、鎮める者が後から付くのでは、順序が逆です。先に剣と海の神が国を歩き、そのあとで天孫が降りてくる。この功績のゆえに、二社は朝廷から特別な崇敬を受け、神宮と呼ばれる格式を得た、と考えられてきました。
古事記の出雲の国譲りでは、建御雷神の活躍がより具体的に描かれます。大国主神が国を譲ることを承諾したあと、建御名方神が拒んで力比べを挑み、敗れて諏訪の湖へ逃れました。建御雷神は、大国主神のもとへ遣わされた使者であり、その力比べの相手でもあります。古事記では武甕槌命(たけみかづちのみこと)とも書かれ、雷の力で相手を圧倒する武神です。経津主大神も、古事記と日本書紀の双方に姿を持つ武神として語られます。書によって、二神が並ぶ場面と、建御雷神が前に出る場面とが分かれます。香取と鹿島を並べて祀る感覚は、並んで国を鎮めた、という日本書紀の側に近いものです。古事記が建御雷神の力比べを詳しく書くときも、鹿島の神が諏訪まで追い、そこで建御名方神の誓いを受けた、という記憶は同じ地面に残ります。
要石と、奈良へ運ばれた神
江戸時代には、徳川家康も鹿島神宮を深く信仰した、と伝えられます。関東の氏神として、武士の信仰の中心にあった二社の力は、政治と軍事と、海の生業とに及んでいました。要石は、建御雷神が武神であると同時に、国土の安定を司る神でもあることを、地面の側から示します。押さえる石がゆるめば、地は揺れます。武の神は、勝ち戦の神である前に、土地を動かなくする神でもありました。鹿島の石の前で頭を下げ、香取で潮の匂いを想像する。その二つが揃って、神宮という呼称の意味が、肩書きから仕事へ戻ります。
二神は、のちに春日大社(かすがたいしゃ)へも勧請されます。春日四所明神の第一が鹿島の武甕槌命、第二が香取の経津主命(ふつぬしのみこと)です。東国で国を鎮めた神々が、奈良の藤原氏の社で、再び並びました。香取の海と、鹿島の雷とを見たあとで向かう先は、その春日さんです。


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