奈良の春日大社(かすがたいしゃ)に着くと、参道を神鹿(しんろく)が横切っていきます。境内を自由に歩く鹿です。鹿は春日大明神の神使(かみのつかい)とされ、この社の象徴になりました。鹿の向こうに、朱塗りの社殿が並びます。春日造(かすがづくり)と呼ばれる建築です。石灯籠(いしどうろう)の多くは、奉納されたものです。
春日大社は、藤原氏(ふじわらし)の氏神(うじがみ)です。藤原氏が大和に下ったとき、国家鎮護(こっかちんご)の神として祀った社とされ、768年の創建とされます。奈良の春日山(かすがやま)の麓に鎮座し、背後には若草山(わかくさやま)、御蓋山(みかさやま)、春日山の三つの山があります。山と社が、一つの信仰の厚みになっています。
四つの神が、一つの神になる
ご祭神は春日四所明神(かすがししょみょうじん)、四柱です。第一の明神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)で、鹿島神宮から勧請されました。第二は経津主命(ふつぬしのみこと)で、香取神宮から勧請されました。第三は天児屋根命(あめのこやねのみこと)です。第四は比売神(ひめがみ)で、伊勢神宮から勧請されたとされます。東国の武と、祭祀の祖と、伊勢の女神とが、一つの麓に招かれました。
この四柱は、一神格(いっしんかく)として春日大明神(かすがだいみょうじん)とも称されます。四所明神が一神一体(いっしんいったい)、一つの神として結ばれた存在だ、とする信仰です。別々に祀りながら、一つの大神として崇めます。藤原氏が欲しかったのは、四枚の守りを、一柱の氏神に束ねることでした。鹿島の雷と香取の剣とを、自分の家の祭祀の神の隣に坐らせる。氏神とは、土地の神を拝むことであると同時に、招いた神々で家の輪郭を作ることでした。
第三の天児屋根命は、古事記で祭祀を司る神です。天照大御神が天の岩戸に隠れ、世が闇になったとき、天児屋根命は岩戸の前で祭祀を担い、祝詞を奏でました。光を戻すための祀りに、言葉の役で立った神です。鹿島と香取の武神、伊勢の比売神のあいだに、この祭祀の神が坐ることで、春日の四所は、戦いと、祈りと、皇室の祭祀とを一つの家の神にします。藤原氏の繁栄と、朝廷の安定とを祈る相手として、長いあいだ朝廷の崇敬を受けてきました。
注連縄を張り替え、和歌が生まれた地
春日大社では、注連縄(しめなわ)の張替えが行われます。神聖な場所を示す縄を新しくし、神域を清め、神の力を新たにする儀式です。御饌(おんぜ)、神前に捧げる供物も、大切に受け継がれてきました。感謝を食べ物の形にして、繰り返し届けます。氏神の社は、建てたあとも、縄と供物とで更新され続けます。注連縄が新しくなる朝、神域の線は、また一度、引き直されます。
春日大社は、和歌(わか)の発祥の地ともされます。平安時代、藤原氏の繁栄とともに和歌が花開き、この社は歌の聖地としても知られるようになりました。山の麓で言葉を磨くことと、神前に言葉を奉ることとが、ここでは近い位置にあります。
春日大社と春日山原始林は、1999年、世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産として登録されました。1000年以上守られてきた林と、藤原氏の氏神とが、同じ遺産の名で並びます。朱の柱と、灯籠の列と、鹿の足音とが、その登録の手前にある、普通の午後の風景です。
3月の祭と、万灯籠の夜
3月には春日祭(かすがさい)が行われます。藤原氏の氏神としての格式ある祭で、神鹿が祭りに加わる様子は、この社でしか見られません。万灯籠(まんとうろう)は、2月と8月に、灯籠へ火が入れられる行事です。1000年以上の伝統を持つ夜で、参道の石灯籠が一斉に灯ります。昼に鹿が横切った道が、火の列に変わります。
四柱の名を、鹿島、香取、天児屋根、伊勢の順で思い出しながら社殿を見上げると、春日大明神という一柱の呼び方が、束ねたあとの名だと分かります。火を祀る神の話は、この灯籠の向こうにあります。愛宕さんと秋葉さん、火防の神です。


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