社殿の畳が、衣擦れを吸い込みます。新郎と新婦が並んだ手前に、三つの杯が置かれている。式を進める神職の代表を、斎主(さいしゅ)と呼びます。咳払いが止んだところで、神前結婚式は決まった順を歩き始めます。
最初は修祓(しゅばつ)です。心身を清め、席に残った日常のざわめきを一度払います。続いて斎主が一拝します。代表が先に頭を下げることで、ここから先は神の前の時間だと、参列の全員に伝わります。
次に献饌(けんせん)です。お供えを上げ、神に食事の席を整えます。祝詞が奏上され、二人の名と門出が、神の前で読み上げられます。そのあとが、この式でいちばん息が止まるところです。三献の儀、すなわち三三九度(さんさんくど)です。新郎と新婦は三つの杯でお神酒を交わし、一つの杯を三口ずついただきます。三つの杯に三度を重ねるので、九度になります。平安時代、公家の酒宴ではこの九度の作法が用いられ、元服(げんぷく)の席でも行われていました。宴の杯の数が、夫婦の絆を神前で結ぶ所作へ移ってきたのです。
誓いの言葉は、誓詞奏上(せいしそうじょう)として二人の口から置かれます。続いて玉串拝礼(たまぐしはいれい)です。玉串を神前に奉る所作は玉串奉奠(たまぐしほうてん)とも呼ばれ、榊の葉を通じて気持ちを届けます。親族盃(しんぞくはい)の儀では、親族一同がお神酒をいただき、家と家の結びを固めます。お供えは撤饌(てっせん)で下げられ、斎主がもう一度一拝して、式は閉じます。
祭りの次第は十四の段から成るとされ、そのうち修祓、祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌は結婚式と重なります。山は三三九度にあり、前に祝詞、後ろに玉串が続きます。順を崩すと、迎え、誓い、送りの呼吸が途切れます。
一つの杯を三口でいただくのは、飲み干して終わらせない作法です。親族の杯は、二人の誓いを、席に並ぶ家々のあいだへ戻す時間です。式の前後で斎主が同じ一拝をするのは、始まりと終わりを同じ礼で挟むためです。神を迎え、言葉を捧げ、絆を結び、供えを下げる。結婚式は、祭りの骨格を人生の門出に合わせた次第です。
神前結婚式は、二人の門出を神に見守っていただく儀式です。氏神や地域の神社で行われることが多く、新しい世帯が土地の人々との結びをあらためて持つ意味もあります。誓いを神前に置くことで、加護のもとで人生が始まる。杯を重ねる静けさは、その気持ちの形です。
床の間から、神社の広間へ
この形が広く行われるようになったのは、明治以降のことです。それまで式の多くは家の中にありました。心得として伝えられていたのは、「結婚は神のお計りであり愛である」という一言です。床の間に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)をまつり、神饌(しんせん)を供える形もあったとされます。家で神を迎えるこの仕方は江戸時代に確立し、公家や大名から武士へ、さらに庶民へと広がっていった、と伝えられています。
明治33年、当時の皇太子、のちの大正天皇のご婚儀が、宮中の賢所(かしこどころ)で行われました。神前で結ぶ婚儀への関心は、ここから高まります。翌年、日比谷大神宮、いまの東京大神宮で、皇太子のご婚儀にならった神前結婚式が行われました。家の婚礼は、床の間の二柱の前に神饌を置き、二人の結びを暮らしの内側で報告する形でした。招く人数が収まり、床の間に席が作れるうちは、式の場所は家の延長にありました。高度成長期以降、地方から都市へ人が移り、自宅で大勢を迎える土台は細くなります。清めた広間と、次第を知る神職が、床の間の役を引き受けるようになりました。日比谷で始まった神前の式は、宮中の婚儀を模範にしながら、氏子の門出を地域の神社が預かる形へ広がり、件数は急に増えていきました。
木の花が開く、地上の営み
古事記では、高天原から降りた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、大山祇神(おおやまづみのかみ)の娘である木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と結ばれます。神どうしの結婚が、地上における人間の営みの始まりとして描かれています。木花咲耶姫との結びは、五穀の豊穣と、子孫の繁栄の象徴でもありました。山の神の娘を迎えることは、山の恵みと人の世とが結ばれる場面でもあります。豊かな実りと、後に続く命。神前の誓詞が短い言葉で頼むのも、同じ方向を向いています。神々の結婚として描かれた結びが、いまの式では、二人の人生の始まりとして繰り返されます。
式の間、斎主として頭を下げる人にも、神社の中での立場があります。宮司から出仕へと並ぶ神職の階位を、次に見ていきます。


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