正月の参道は、白と赤でできています。千早(ちはや)の袖が揺れ、赤い袴(はかま)が石段の色と分かれます。巫女(ふうじょ)と呼ばれる人たちが、お守りの列をさばき、鈴の音のほうへ消えていく。あの装いは、神聖さと清浄さを身にまとう形です。白は清らかさ、赤は生命力を表す色として、古くから用いられてきました。
かつての巫女は、神の意志を人々に伝える役でした。神託(しんたく)です。神降ろし(かみおろし)の儀式を行い、神の言葉を代弁する。神に選ばれた女性として崇敬され、神に直接仕え、神の使いのような存在でもありました。古事記や日本書紀にも、巫女の活躍は残っています。出雲や伊勢など、各地にその伝統が根を下ろしていました。言葉を預かる人が、祭りの中心にいた時代です。
言葉を預かる役が、補佐へ移る
中世以降、神道の体制が整うにつれ、巫女の位置は大きく動きました。神託を担う中心から、神職を補佐する側へ移っていきます。祭祀の中心には男性の神職が立ち、巫女は補助の立場になる傾向が強まりました。中臣氏以降、神託を担う役割は縮小し、祭祀の補助や神楽の舞へと特化していきました。神の声をそのまま届ける仕事が細くなり、神の前で身体を動かす仕事が残った、という流れです。神託が中心だったころ、巫女の言葉は祭りの結論でした。祝詞を奏上する神職が祭祀の正面に立つようになると、巫女の位置は補佐へ移ります。残ったのは、場を清め、舞で神を慰める役です。言葉の役が細くなった分、身体で仕える仕事の輪郭が、はっきりしていきました。
その流れの外に、神託を担い続ける女性もいます。東北地方のイタコ(いたこ)です。一部の地域では、古代の巫女が持っていた「言葉を伝える」役が、いまも息をしています。全国の神社の千早とは装いも作法も違って見えて、根にあるのは、神と人のあいだに立つ女性という古い形です。
千早のまま、境内を支える
いまの巫女の仕事は、境内と社殿の清掃から始まります。祭祀や祭礼では神職を補佐し、神楽の舞を奉納します。初詣や祭りの日には、参拝者への対応が、一日の大きな部分を占めます。列の質問に答え、授与品を渡し、足もとの砂をならす。華やかな舞の時間は短く、その前後に、社を清めて人を迎える仕事が長く続きます。正月や例祭の時期、各地で神楽が奉納される光景は、その一年の表に出る顔です。
白い千早と赤い袴は、その仕事の正装です。神聖さと清浄さを象徴し、祭りの風景の中でいちばん遠くから分かります。装束が先に目に入り、仕事の中身は、掃除と補助と応対の積み重ねです。古代は神託を伝える中心であり、神降ろしを行いました。中世以降は神職の補佐へ移り、神託の役割は縮小します。現代は、清掃、祭祀の補助、神楽、参拝者への対応です。東北のイタコに神託が残っていることは、古代の役が一部の土地で途切れていないしるしでもあります。
桶を踏んだ神の、舞
巫女が神楽を舞う役割の源流は、古事記の天鈿女命(あめのうずめのみこと)に置かれてきました。天照大御神が天の岩戸に隠れたとき、天鈿女命は桶を裏返して踏み鳴らし、神前で舞いました。神々を楽しませ、閉じた戸の向こうにいる神を、もう一度外の光へ誘う。この場面が、巫女の神楽の起源とされています。
天鈿女命は、古事記における「神に仕え、神楽を舞う女性」の典型です。足と袖で、場の空気を変えていきます。いま巫女が神楽を奉納する役割は、岩戸の前の舞まで遡る伝統として語られてきました。
初詣の境内では、その記憶が実務の速度で動いています。社殿の床を先に拭き、祭りの補助に入り、列の人へ授与品を渡し、時間が来れば袖を上げて舞う。一年のほとんどは清掃と応対で、例祭や正月に神楽が表へ出ます。白い千早と赤い袴は、その両方の日に共通する正装です。神聖さと生命力の色が、神託の時代から補佐の時代へ移っても、身体の側に残っています。
正月の境内で千早が翻るとき、見えているのは応対の手つきであり、その奥には、神の前で舞うことで世界の調子を戻そうとした女性の記憶があります。
千早と袴が巫女の装いなら、神職の手と頭には別の道具が残っています。檜扇や烏帽子は、その正装の側にあります。


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