音を立てない拍手が、夜の祭場を満たす
夕方から、翌日の午前二時、三時ごろまで。神葬祭(しんそうさい)の通夜祭は、その長さで故人の御霊を慰めます。祭場に焼香の煙は立ちません。参列者が拝むとき、拍手は忍手(しのびて)です。微音、かすかな音さえ残さない。音を消すのは、故人を偲び、慎む心を手のひらで表すためです。
斎主が祭詞を奏上し、神職も祭壇に向かって言葉を捧げます。雅楽の調べにのせて、参列者は玉串を捧げ、玉串拝礼をします。いまの通夜は、お見送りの夜として営まれます。もともとは、早朝に遺体が戻って息を吹き返すよう、蘇生を祈るお祭りでした。夜を越えて朝を待つ時間には、その古い祈りが残っています。
神葬祭とは、神道の作法で営む葬儀です。いまの葬儀の多くは仏式ですが、日本には、もともと神道に基づく葬送の慣習がありました。古事記にも、独自の信仰に基づく葬送の記述が見えます。大切な人、大御子が亡くなったとき、遺体を安置する家を建てて葬儀を営んだ、と伝えられています。古墳の出土品からも、古代の葬送の様子はうかがえます。鳥がそれぞれ役をつとめ、八日八夜にわたって歌舞が続いた。死は、共同体が儀礼を尽くして見送る出来事であり、葬儀そのものが厳粛な祭祀でした。
幽世へ帰った朝から、火葬の火まで
大宝2年(702年)、持統天皇の大喪から、葬送には仏教の色が濃くなりました。中世以降、公家にも武家にも仏式や武式が混ざり、江戸時代の寺請制度のもとで、一般の家にも仏式が定着します。そのなかで日本に固有の葬儀を見直す動きが起こり、明治時代には、神式による葬儀が一般に認められるようになりました。土地によって細かな違いはありますが、家の時間は、おおよそ次の順で進みます。
家族の誰かが亡くなると、まず帰幽奉告(きゆうほうこく)です。氏神様と、神棚と、御霊舎に、そのことを告げます。帰幽とは、故人が幽世(かくりよ)へ帰ることです。告げたあと、枕直しの儀に移ります。遺体を整え、殯室(もがり)と呼ぶ安置の部屋へ移す。北枕にし、白い布で覆い、屏風を立て、守り刀を置きます。灯火をともし、米と塩と水などを供えます。
納棺の儀で、遺体を棺に納めます。出棺までのあいだ、毎朝と夕方に柩前日供の儀を行い、御霊を慰めます。墓所では、遺体を納める土地を祓い清める墓所地鎮祭が営まれます。
通夜の流れのなかで、遷霊祭(せんれいさい)があります。故人の御霊を、霊璽(れいじ)へ遷すお祭りです。霊璽は、仏式の位牌にあたります。葬場祭は告別式であり、故人との最後の別れです。祭場の様子は通夜祭に合わせ、基本は通夜と同じお祭りを行ったうえで、火葬場へ向かいます。ここまでが、告別式当日の中心です。
通夜を故人の家で営んだ場合には、発柩祭(はっきゅうさい)、つまり出棺の儀があり、葬場へ移ることを霊前に奉告します。火葬のときには火葬祭、遺体や遺骨を埋葬するときには埋葬祭があります。土葬の風習が残る土地もあります。一連の葬儀が滞りなく終わったことは、帰家祭で、再び霊前に告げます。
仮の席で50日を過ごし、御霊舎へ遷す
葬儀の翌日から、御霊舎を鎮めるお祭りが続きます。翌日祭、十日祭、三十日祭、四十日祭、そして五十日祭です。五十日祭でこの連なりは一区切りとなり、神職を招きます。霊璽は、五十日祭が終わるまで、別の仮霊舎に安置されます。家族の手で供えをし、朝と夕方に拝礼します。近頃は、五十日祭に合わせて埋葬祭を行う家も多い。墓前でも、同じようにお祭りが営まれます。
一般には、五十日祭をもって忌明けとします。そのときに家中を祓うのが清祓(せいはらえ)です。神棚の前には、それまで白い半紙を貼り、お祀りを一時休めていました。忌中、すなわち故人のお祀りに専念する期間は、忌明けの50日が目安です。清祓のあと、半紙を外し、神棚のお祀りを再開します。
地域によって違いはありますが、五十日祭のあとには合祀祭があります。仮霊舎に置いていた霊璽を、御霊舎へ遷すお祭りです。仮の席で過ごした50日が終わり、故人は家の神々の列に加わります。
墓石にどのような字を刻み、御霊舎の名をどう記すのか。次に見るのは、神道のお墓と、霊号です。


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