神棚の前に、白い半紙が下がっている
普段なら朝に柏手を打つ棚の前が、白い半紙で閉ざされている。家の中の光が、紙のこちら側で止まっているように見えます。半紙は棚の正面を一枚で覆い、見る人は、言葉を交わす前に、その家が忌中であることを知ります。故人のお祭りに専念する、という「忌」の意味が、紙の白さになって奥の部屋にあります。期間の最中であることが、忌中という語の中身です。忌中(きちゅう)とは、お身内に亡くなった方がいるときに守る期間であり、習慣です。「忌」は、故人のお祭りに専念する、という意味です。忌中とは、その最中を指します。
神道では、死を穢れ(けがれ)と結びつけて考える伝統が残っています。一定のあいだ神事や神社への参拝を控え、故人のお祀りに心を集め、清らかさを保つ。その期間の区切りが、五十日祭です。一般的には、五十日祭までが忌の期間とされます。このあいだ、神社への参拝は控える、と説明されることが多い。どうしても足を運ばなければならない事情があるときは、自分で判断してくぐるより、神職に相談します。
神棚の前には白い半紙を貼り、一時的に神棚のお祀りを休みます。朝、水を替え、米を供え、柏手を打つ音が、家から一つ消えます。その静けさは、故人の御霊に専念し、清らかさを取り戻すための時間です。五十日祭まで、紙は棚の前に残します。忌明けを過ぎたら半紙を外し、神棚のお祀りを再開します。再開とともに、神社への遠慮も解けていきます。氏神様の鳥居は、忌が明けるまで遠くに置いておきます。どうしても参拝を避けられない用事があるなら、境内の前で迷うより、神職のことばを聞きます。相談できる相手がいること自体が、この期間の作法です。忌が明けた家は、再び神棚と氏神様のもとへ戻ります。
忌中は、50日という期限を持った専念の期間です。紙を貼ること、鳥居を控えることは、御霊のお祭りに家の心を使い切るしるしです。穢れと死を結びつけてきた伝統は、その専念に、清らかさという条件を加えています。条件が満ちる日が、五十日祭です。
年が、忌のあいだに明けてしまう
忌の期間中に新年を迎える場合、正月だからと急いでお神札を受けに行くことはしません。忌明けのときに、お神札を受け、交換します。
イメージは、こうです。12月に忌に入り、1月1日の新年をまたぎ、2月ごろに忌明けを迎える。実際の日取りは、故人が亡くなった日と、五十日祭がいつになるかによります。亡くなった日が動けば、忌明けの月も動きます。カレンダーの新年と、家の忌明けは、別の時計です。
1月1日、新しいお神札を求めて列に並ぶ人の横を、忌中の家は通りすぎます。年が改まっても、半紙は棚の前に残ったままであることがあります。札を受ける日は、忌が明けてからです。古い札を納め、新しい札と交換するのも、半紙を外すのと同じ区切りに重なります。紙を外す日は、五十日祭のあとです。元日がその日と重なるとは限りません。新年の挨拶が先に街へ来ても、家の神事は五十日祭を待っています。
白い紙は、いまは故人の御霊に専念している、という家の内側のしるしです。50日が満ち、清まったあとで、棚の神と氏神様は、また朝の挨拶を受け取ります。戻った神棚は、以前と同じ壁にあります。50日のあいだ故人のお祭りに心を使い切った家が、期間の満了とともに、氏神様と棚の神へもう一度頭を下げる地点に立ちます。
忌が明ける朝、半紙を外した棚には、再び水と米が戻ります。50日のあいだ休めていたお祀りを、家族の手で再開します。氏神様への参拝も、この日から遠慮を解きます。12月に始まり、1月1日を紙の向こうに見送った家は、2月ごろの忌明けではじめて、新しいお神札を受け、古い札と交換します。日取りは、亡くなった日から五十日祭を数えた結果です。街の正月と、家の神事の再開が、ここでようやく同じ朝に重なります。
半紙を外す前に、人はほかの家の神葬祭へ招かれることもあります。そのとき手にする水引と、着る服の話が、次に続きます。


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