結び切りの水引を、指で確かめる
神葬祭に参列することになった朝、封筒の水引(みずひき)を一度、指で確かめます。お供えも服装も、一定の作法があります。通夜祭に出るときの本来のマナーは、羽織を着用せず、地味なスーツなどを着ることでした。近頃は、葬場祭、つまり告別式だけに参列する人も多く、通夜祭だけに招かれた場合でも、喪服を着用することがあります。黒に近い服を選ぶのは、祭場の灯のなかで、自分の色を控えるためです。羽織を重ねない地味なスーツは、喪服ほど格式を張らず、それでも色を殺しています。本来の地味さと、近頃の喪服は、祭場で自分を前に出さない一点でつながっています。喪服の生地が灯を吸うと、玉串を持つ手だけが、少し明るく残ります。
お供えは、弔事用のものを使います。水引は結び切りです。色は黒白、あるいは白銀。地域によっては、黄色や緑が用いられることもあります。結び方には、もう一種類あります。簡単に結べて、何度でも結び直せる蝶結びは、繰り返してよいことに使います。固く結んであり、何度も解くことを想定しない結び切りは、婚礼や葬儀のように、一度きりのことに使います。葬儀の水引が固いのは、この別れを、もう一度繰り返さない、という願いを形にしているからです。旅先で黄色や緑の水引を見ても、結びが切りであれば、一度きりの儀礼に合わせた包みです。指が結び目の固さを確かめるのは、色を見る前に、この包みがどの願いに属しているかを知るためです。
表書きは、御霊前と書く
包みの表には、「御霊前」と記す場合が多い。玉串料、御玉串料、とも書きます。場合によっては「玉串料」「御榊料」と記すこともあります。市販の封筒で、蓮の絵が描かれたものは仏式のものです。神葬祭の包みには、その絵のない紙を選びます。中に包むのは、玉串に代わる心です。祭場では焼香をせず、玉串を捧げます。御霊前と書いた家、玉串料と書いた家、御玉串料や御榊料と書いた家が、同じ列に混ざります。どれも神葬祭の包みです。蓮の花が描かれた封筒は仏式の席の紙なので、この列では選びません。絵を見て包みを替え直す人は、水引の色より先に、紙の意匠で作法を見分けています。表書きのことばは、祭場に着く前、手元で決まっています。
50日のあと、年祭は服の色を緩めていく
五十日祭を過ぎた年祭に参列するときは、ダークスーツなどの服装になります。一年祭、三年祭、五年祭、十年祭と続き、年月が過ぎるにつれて、徐々に平服で、華美でないスーツであればよい、とされています。黒一色で固まっていた列が、10年目には、地味な平服の列に変わっていく。時間が、弔いの濃さを少しずつ日常へ戻していきます。年祭は、一年祭、三年祭、五年祭、十年祭と、節目の年に人が集まります。五十日祭の直後はダークスーツが喪の色を残し、年月が過ぎた祭では、平服や華美でないスーツが許されます。緩む速度には地域差があります。差があっても、節目の名が進むことには共通の骨格があります。
地域による違いはあります。五十日祭は満中陰とされ、仮霊舎に安置してきた霊璽は、ここで一区切りを迎えます。故人を弔う祭祀であったものが、家の守り神として御霊舎へお祀りしていく、という意味へと移っていきます。参列する側の服がダークスーツから平服へ緩むのも、その移り変わりと同じ方向を向いています。忌が満ち、守り神としての祀りが始まる地点で、人の服装も、日常へ半歩戻ります。
告別式の列では、地味なスーツの人と、喪服の人が混ざります。本来、通夜は羽織を着ない地味な服でした。いまは通夜だけでも喪服のことがあります。どちらで来ても、結び切りの包みを手にしていることでは同じです。黒白か白銀、土地によっては黄色や緑の水引が、祭場の入口で一度、灯に透けます。表書きの御霊前という三文字が、その光のなかで読めます。
水引を結んだ手は、やがて別の現場にも立ちます。更地の中央に祭壇が組まれ、地鎮祭、上棟祭、竣工祭が、家を建てる時間を祈りで区切っていきます。


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