気候が暖かくなり、人は一か所に住むようになりました。その暮らしが、どんな道具と食べ物で成り立っていたのかは、ごみ捨て場の発掘から分かります。
列車の窓から見えた貝の崖
明治10年(1877)、アメリカの動物学者エドワード・S・モースは、鉄道で横浜から新橋へ向かう途中、大森駅近くの崖に貝殻が積み重なっているのを見つけました。後日、政府の許可を受けて発掘します。縄文時代の後期から末期ごろの貝塚でした。
貝塚は、食べ残しやごみを捨てた遺跡です。貝殻、動物や魚の骨、土器の破片、土偶、石斧、石鏃、骨角器、人骨の破片などが出ます。のちに大森貝塚と呼ばれるようになりました。
このとき出た土器には、縄の模様が付いていました。そこから縄文土器の名が付きます。モースの発掘は、日本の考古学の発祥とされています。大森貝塚は国の史跡になり、モースが掘った遺物は国の重要文化財です。全国の縄文遺跡の調査から、縄文人の道具立てが見えてきます。
狩り、漁、採集
使われていたのは、打製石器、磨製石器、弓矢、骨角器です。狩猟と漁と採集で、食料を確保していました。骨角器は、動物の骨から作った道具です。日本では鹿、猪、イルカなどの骨で作った釣針や銛が、縄文時代の遺構から出ています。
| 道具 | 主な用途 |
|---|---|
| 打製石器・磨製石器 | 加工、木の伐採 |
| 弓矢(石鏃) | 猪・鹿などの狩猟 |
| 骨角器(釣針・銛) | 漁 |
| 土器 | 煮る、蒸す、炊く、貯蔵 |
主食は木の実、畑の芽もある
人びとは、胡桃やドングリなどの木の実、山芋などの根菜を主食にしていました。計画的に、稗、粟、栗、大豆などの豆類、荏胡麻、瓢箪を栽培していたことも分かっています。
土器が入ると、煮る、蒸す、炊くという調理が加わります。汁物が作れ、木の実のあくも抜けるので、栄養を効率よく取れました。飲食物を土器に貯蔵することもでき、酒を醸したともいわれます。
穴を掘った家と、くりぬいた舟
住まいは、地面に掘った穴に柱を立て、草で屋根を葺いた竪穴住居です。集落が作られました。家に使う木は、磨製石斧で削って伐り出します。木を水で濡らしたり、焦がして柔らかくしてから、石斧で削る方法も使われました。
丸太をくりぬいた丸木舟で沖に出て漁をし、遠くへも航海しています。青森県の三内丸山遺跡では、この暮らしが、一つの大きな集落の跡として残っていました。
貝塚は、ごみ捨て場であるだけではありません。土偶や人骨も一緒に出る場所です。捨てたもののなかに、暮らしとまつりの両方があります。

