青森県青森市の三内丸山遺跡は、縄文時代の大規模な集落跡です。平成4年(1992)に発掘が始まり、それまで考えられていた縄文人の姿を変えました。
栗を植え、六本の柱を立てた
それまでは、縄文人は大きな集落を作らず、食物も栽培していなかった、と考えられていました。三内丸山では、栗の木を計画的に植え、下草を刈って管理していたことが分かります。
直径と深さがともに2メートルの、六つの巨大な柱の跡が見つかっています。かなり大規模な建物があり、高度な土木の技術があったことを示します。遺跡が営まれたのは縄文時代の前期から中期、約5900年前から約4300年前まで、およそ1600年間です。
住居の跡は三千棟以上と推定されています。同時期にそのすべてが建っていたわけではないにせよ、規模は、それまでの縄文の遺跡の常識を超えるものでした。一つの集落がおよそ1600年続いた長さは、徳川家康が城を築いてからの江戸や、桓武天皇が都を移してからの京都と比べても長い、と並べて見ることができます。
翡翠、琥珀、アスファルト
遠方との交易も盛んでした。墓地も大規模で、故人を丁重に葬っています。採取を基礎にした社会としては、稀に見る高度な社会が作られていた、ということです。
| 出土品 | 産地 |
|---|---|
| 翡翠 | 糸魚川 |
| 琥珀 | 岩手 |
| アスファルト | 秋田 |
土偶と、抜いた歯
縄文人は、あらゆるものに精霊が宿ると考えていました。女性をかたどった土偶(土製の人形)や、男性器を表したと思われる石棒は、子孫の繁栄を願うまつりに使われたと考えられます。自然との調和を重んじた見方は、いまの日本人の価値観にも濃く残っています。
風習の一つに、屈葬と抜歯があります。屈葬は、足を折り曲げて葬るやり方で、死者の霊がわざわいを及ぼすのを防ぐためとされます。抜歯は、特定の永久歯を抜く習慣で、成人式の意味を持つものと考えられています。
差の小さいムラ
とくに大きな住居は見られず、共同の墓地が営まれ、副葬品も多くありません。縄文時代には、人のあいだに貧富の差や身分の上下はなかった、と考えられています。
列島に大規模な移住があったとは想定しにくいので、先土器時代の人が縄文人の先祖です。骨格が現代の日本人に似ていることから、縄文人は日本人の先祖と考えられています。この点は、人の起源で見た、縄文の人骨の話と同じ線にあります。
東アジアに、古い土器が集まる
日本で出た世界最古級の土器のほかにも、同じように古い土器が、ロシアと中国にあります。ロシアのグロマトウハ遺跡の土器は、約1万5000年前のものです。中国湖南省の洞窟では、約1万8000年前という報告もあります。最古級の土器は、東アジアに集中しています。
一方、南アジア、西アジア、アフリカ、ヨーロッパなどでは、日本より約8000年遅れて土器を作るようになりました。少なくとも土器については、日本を含む東アジアが、極端に古いといえます。
湖南省の約1万8000年前という土器は、日本の研究者による調査が拒まれ、出土品は盗まれて、いまはない、とされます。測定も土器そのものではなく、土器の上下の地層から出た動物の骨などから割り出したものです。約2000年の幅があり、上限が約1万8000年前だ、というにとどまります。
その後、中国の江西省で、約2万年前の土器が出た、という発表がありました。ただし、土器に付いたものを測ったのではなく、地層から年代を割り出したもので、信憑性は低いとされます。

