世界の文明は、どこで起こり、どんな特徴を持っているのでしょう。日本と世界の文明に、共通するものは何か。そして、互いにどう影響し合いながら形づくられてきたのか。縄文の列島の話のあと、その問いへ進みます。
文明と呼ばれる条件
農耕を始め、都市を作り、文字を使い、広い範囲で貿易をしている。こうしたことをもって、文明が成り立ったと考えられてきました。どの文明が世界の文明の祖なのかは、研究の途中にあり、まだ定説はありません。
かつて、エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、中国文明の四つを世界四大文明と呼び、世界の文明はすべてこの四つから流れ出た、と考える時期がありました。考古学が進むと、同じ条件を満たす文明が各地で見つかり、四大文明が世界の祖だという見方は、いまは否定されています。
日本は、遅れて、独自でもある
日本列島では、本格的な食料の生産と、都市ができる時期は遅れました。それでも、最古級の磨製石器と、最古級の土器が列島から出ています。日本には、独自の文化の起源がある、といえます。
アメリカの国際政治学者、サミュエル・ハンチントンは、著書『文明の衝突』で、ほとんどの学者は日本を固有の文明と見ている、とし、5世紀以降の日本文化を「日本文明」と呼びました。
列島は海によって大陸から隔てられていたので、ほかの地域とは違う色の文化を育てていきます。ただし、ほかの文明と無関係にできたわけではありません。列島の人々は、大陸や朝鮮半島から文化を積極的に受け取り、それを発展させ、東アジアの多くの地域にも文化の影響を与えました。日本の文化は、とくに中国の文明と、互いに強く影響し合いながら進んでいきます。
大河の穀物、山の芋
エジプト、メソポタミア、インダス、黄河・長江、メソアメリカ、アンデスをはじめとする地域では、列島より早い段階で農耕と牧畜が始まっています。大河のまわりでは穀物が中心です。山岳のアンデスや、島々のパプアニューギニアでは、ジャガイモなどの根菜が中心でした。
| 土地 | 何を作ったか | いつ頃か |
|---|---|---|
| 長江(揚子江)の中流域 | 稲作を中心とした農耕 | 約1万2000年前 |
| 長江の中下流域 | 最も古い水田の跡。長江流域が稲作の起源と考えられる | 約6400年前 |
| シリア、テル・アブ・フレイラ遺跡 | ライムギの農耕 | 約1万1000年前 |
| パプアニューギニア | 芋類のための灌漑 | 約9000年前 |
大陸では、世界のなかでも特に早く農耕が始まっています。約1万2000年前、長江(揚子江)の中流域で、稲作を中心とした農耕が始まっていたことが確認されています。水田としては、長江の中下流域にある約6400年前の跡が最も古く、長江流域が稲作の起源だと考えられています。
ほかの最古級としては、シリアのテル・アブ・フレイラ遺跡に、約1万1000年前のライムギの農耕の跡があります。パプアニューギニアには、約9000年前、芋を作るための灌漑の跡があります。
麦と、群れを率いる技術
農耕の始まりは、紀元前8000年から7000年ごろ、西アジアで麦を家畜化させたことだとされます。同じ時期に山羊と羊、遅れて牛と豚の家畜化も始まりました。東アジアの長江では稲が、北アフリカから中央アジアにかけてはタカキビなどの栽培と、トナカイなどの家畜化が進みました。
氷河期の最後の急な温暖化に合わせていくなかで、群れの行動を統率する技術ができたのが、牧畜の起源だと考えられています。
山海の幸が、農耕を遅らせた
日本列島は、豊かな温帯の森に包まれ、海に囲まれ、山と海の幸に恵まれていました。ほかの地域より食料を得やすかったため、本格的な農耕を始める時期は遅れた、と考えられています。
ところが縄文時代の晩期になると、寒冷化で自然の実りが乏しくなります。この時期に、縄文人も重い腰を上げて稲作に着手した、と考えられています。
食料が極端に悪くなると、人は幼い動物まで捕るようになります。ところが縄文晩期の貝塚には、幼い獣が増えた形跡がありません。そのころの人の骨や歯にも、成長が止まるような障害は、ほとんど見られません。縄文人は、自然が変わるなかでも、余裕を持って農耕の社会へ移っていったことが分かります。
その後、列島の人々が大陸の文化を積極的に取り込んでいく話は、弥生時代以降に続きます。都市と文字が、大河の流域でどう生まれたかは、次に見ます。

