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国史
中国の歴史書に書かれた倭——漢書地理志と後漢書東夷伝
弥生時代の日本には、まだ文字がありません。それでも当時の様子が少し分かるのは、中国の歴史書に「倭(わ)」のことが書き残されているからです。 秦から漢へ 紀元前221年、秦の始皇帝が中国を初めて統一しました。全国を郡と県に分けて役人に治めさせ、... -
国史
ギリシャ・ローマの文化——民主政、ヘレニズム、ローマ法
日本で稲作が広まっていたころ、地中海ではギリシャとローマが栄えていました。のちのヨーロッパ、そして遠く日本にまで影響を残した二つの文明を見てみましょう。 ポリスと民主政 バルカン半島の南で、紀元前8世紀ごろからポリスと呼ばれる小さな都市国家... -
国史
吉野ヶ里遺跡——三重の堀に守られた弥生のクニ
弥生時代の環濠集落の中で、もっとも大きく、もっとも有名なのが佐賀県の吉野ヶ里遺跡です。どんな場所だったのでしょうか。 守りを固めた三重の堀 吉野ヶ里遺跡は、日本最大級の環濠集落跡です。最大の特徴は、集落をぐるりと三重に囲む堀。いちばん外側... -
国史
弥生文化と弥生人の暮らし——田んぼ、ムラ、そしてクニへ
田んぼが始まると、人々の暮らしはどう変わったのでしょうか。縄文時代との違いに注目しながら見ていきます。 あっという間に東北まで 北部九州で始まった水田稲作は、比較的短い期間で列島に広がりました。紀元前6世紀ごろまでに近畿、紀元前4世紀ごろに... -
国史
稲作はどこから来たのか——弥生時代の始まりとイネの遺伝子
お米づくりは、いつ、どの道を通って日本列島へやって来たのでしょうか。この問いの答えは、ここ20年ほどで大きく塗り替えられています。 弥生時代の始まりが、ぐっと古くなった 弥生時代は、ふつう水田稲作が本格的に始まった時点から数えます。では、そ... -
国史
国譲り——建御雷と出雲の宮殿
天孫が地上へ降りる前に、葦原中国は、話し合いによって天照大御神の側へ譲られました。『古事記』はそのやり取りを、次のように語ります。 二人の使者のあとで 大国主神(おおくにぬしのかみ)の国づくりにより、葦原中国(地上の世界)は賑やかな国にな... -
国史
天孫降臨——三種の神器と、稲の穂
『古事記』と『日本書紀』は、天皇の先祖を、どのように伝えているのでしょう。 『古事記』は、人の起源についても、日本人の起源についても、何も記していません。記すのは、天皇の祖先です。列島が生まれたあとの神々の話は、国生みにまとめてあります。... -
国史
仏教・キリスト教・イスラム教と、日本の神道
昔の人々は、大自然の出来事に圧倒的な力を感じ、人間を超える存在として「神」を考えるようになりました。健康や天候など、いろいろなことを神に祈るようになり、神の教えを説く者も現れます。地域ごとに特色のある宗教が成り、なかには地域を超えて広が... -
国史
インダスと中国——都市と二つの農耕
インダス川と、中国の二つの大河では、都市と農耕の色が違います。隣の朝鮮半島は、列島より遅れて磨製石器と土器を持ち、縄文と同じように狩りと採集を中心にしていました。 碁盤の目と、未解読の文字 インド北西部を流れるインダス川の流域では、紀元前2... -
国史
エジプトとメソポタミア——川が育てた国と文字
食料を安定して作れるようになると、人は定住し、都市を作り、神殿を建て、やがて古代の国家を作りました。貧富の差が生まれ、国を統率する王が現れます。まつりや戦いに使う青銅器(銅と錫などで作った硬い合金)が作られ、文字も使われるようになりまし... -
国史
世界の文明と日本——農耕は、なぜ遅れたか
世界の文明は、どこで起こり、どんな特徴を持っているのでしょう。日本と世界の文明に、共通するものは何か。そして、互いにどう影響し合いながら形づくられてきたのか。縄文の列島の話のあと、その問いへ進みます。 文明と呼ばれる条件 農耕を始め、都市... -
国史
三内丸山遺跡——栗を育て、柱を立てたムラ
青森県青森市の三内丸山遺跡は、縄文時代の大規模な集落跡です。平成4年(1992)に発掘が始まり、それまで考えられていた縄文人の姿を変えました。 栗を植え、六本の柱を立てた それまでは、縄文人は大きな集落を作らず、食物も栽培していなかった、と考え...
