神社のいろはの連載一覧です。第1回は鳥居と鎮守の森から読めます。
記事一覧
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神社検定
那智の滝そのものが神体である土地で、熊野三山の三柱は死者の国を分かつ
和歌山の熊野三山は本宮・速玉・那智の三社です。祭神は素盞嗚尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊と結ばれ、創祀は崇神65年、景行58年、仁徳5年と伝えられます。御師と比丘尼が参詣道を全国へ延ばし、今は世界遺産の霊場です。滝は落差133メートルです。 -
神社検定
天神さまの牛を撫でる人は、右大臣だった人の雷と学問に静かに頭を下げる
天神さまは平安の右大臣、菅原道真です。藤原時平の讒言で九州へ左遷され、2年後に59歳で没しました。落雷や乱ののち火雷天神と恐れられ、太宰府と北野の天満宮から、学問の神として寺子屋へ広がります。境内の牛と飛梅は、道真の象徴です。 -
神社検定
赤い鳥居の奥で、稲は一粒から成っていく。お稲荷さんと狐と、初午祭
最も数の多い神社、稲荷の総本社は京都市伏見区の伏見稲荷大社です。祭神の宇迦之御魂大神は食物の神で、狐は春降り秋上りの使いとされます。2月最初の午の日に行う初午祭では、油揚げや米や稲穂が供えられます。江戸の商店へも祀られました。 -
神社検定
八幡さんの奥に坐っているのは、第15代の応神天皇だった。父母と三女神
全国に約2万社ある八幡さんの主祭神は、第15代の応神天皇です。母の神功皇后と父の仲哀天皇を八幡三神と呼び、宗像の三女神とも結ばれます。京都府の石清水八幡宮から、鎌倉の鶴岡八幡宮へ、源頼朝の手で武士の守護神は広がっていきました。 -
神社検定
神と仏が同じ境内で祈られた長い時代と、明治に引き直された分離の線
6世紀、百済から届いた仏像と経典は八百万の神の世界へ入った。本地垂迹では春日権現の本当の姿は仏だと説かれる。奈良に神宮寺が建ち、明治元年の神仏分離で僧の祭祀が禁じられ、境内の仏像や仏教建築は撤去され、移された。権現や大菩薩の名が残る。 -
神社検定
祝詞に深く頭を下げ、玉串を時計回りに回し、直会で日常へ戻っていく
祝詞のあいだは六十度で頭を下げ、撮影はしない。天児屋命の太祝詞事が岩戸の内の天照の心を動かした。玉串は右手で枝元、左手で葉先を持ち、時計回りに回して枝元を神前へ向け案に置く。直会は神徳を体に入れ、日常へ直す席だ。撤饌のあと斎主が一拝する。 -
神社検定
昇殿の幕開けに振られる大麻と、神前へごちそうを順に進める献饌の話
修祓では祓詞のあいだ六十度で頭を下げ、大麻のあいだは四十五度を保つ。塩湯、切幣、人形は、黄泉から戻った伊邪那岐が宮崎の阿波岐原で行った禊に重ねられる。斎主が一拝したあと、米・酒・魚から塩と水まで神饌を神前へ進める。同じ食を人も分かつ。 -
神社検定
昇殿では神に近い膝から座り、四つの角度で頭を下げる作法が続いてきた
昇殿では神に近い側の膝から座り、遠い側の足から立つ。畳の縁も敷物も踏まない。小揖は十五度、修祓の深揖は四十五度、祝詞の平伏は六十度、拝は九十度。椅子の平伏は警折と呼ぶ。剣の先にあぐらをかいた神と、諏訪の平伏が対をなす。動作の前後は小揖。 -
神社検定
拝殿の内へ進む昇殿参拝と、初穂料と玉串料という二つの名が分かれる理由
社務所で用紙を出し、待合のあと修祓と祝詞へ進むのが昇殿参拝だ。初穂料は新嘗の初穂と斎庭の稲穂に、玉串料は榊の枝に由来する。蝶結びと結びきり、男女の正装、殿内の胡床、神の通り道である正中を横切らないことまでを記す。裸足は避ける。 -
神社検定
破魔矢のハマは的の名前で、縁起という言葉は仏教の因縁から来ていた
破魔矢のハマは弓の的の名で、正月に氏子の代表が矢を放ち豊凶を占う年占神事が古い核だ。男児の初正月の破魔弓、上棟祭の鬼門への弦打、天若日子へ戻った返し矢を経て、因縁生起から来た縁起物の飾り方を家の床の間へつなぐ。矢先は下か凶方へ向ける。 -
神社検定
神を一柱と数える理由と、お札が小さく折られてお守りになるまでの話
お神札は神棚へ、火伏せの札は玄関や柱へ貼る。平安の懸守がお守りの前身で、神を柱と数える感覚はご神木と、二柱が左右から回った天の御柱に続く。三内丸山のクリの柱と諏訪の御柱祭、体・基・座の数え方もあわせて残す。延喜式の神は座である。 -
神社検定
絵馬は生きた神馬の代わりで、おみくじは鹿の骨を焼いた古代の占いの末
絵馬は神の乗り物として生きた馬を奉納した名残で、奈良の木片から室町の大絵馬と小絵馬へ分かれた。香具山の鹿骨を焼いた太占、亀卜、有間皇子のひねりぶみを経て、結び処に結ぶか手元に残すかの扱いを境内の風景に戻す。箱を振る形は鎌倉に生まれたという。












